flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

宮道天神社

2016-04-24 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県宝飯郡音羽町赤坂字宮路 1998年12月28日)
 天武天皇と持統上皇の皇子である草壁皇子(くさかべのみこ 662-89)がこの地に住み、宮路山(みやじさん 標高360m)の頂きに祠を建てたのが宮道天神社の始まりである。また、大宝二年(702)持統上皇が行幸した際、この宮路山の頂きで国見をしたと伝わる。元亀二年(1571)里から離れているため麓の現在地に遷宮され、現在の拝殿は元禄八年(1695)造営されたものである。明治13年(1880)には山頂に元宮が再建された。宮路山は、平安時代の「更級日記」にも、「嵐こそ 吹きこざりけれ 宮路山 まだもみぢ葉の ちらで残れる」と記載されている。また、日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子、建貝児王(たてかいごのきみ)の末裔、宮路氏が代々この地に住み、長者となった。正暦年間(990-995)三河国に国司として赴任した大江定基は、三河赤坂の長者、宮路長富の娘力寿姫を愛した。然し、定基が赴任を終え京に戻ることとなり、その別離を苦しんだ力寿は舌を噛み切って亡くなった。力寿の父長富は、長保年間(999-1003)娘の菩提を弔うため赤坂に長富寺(1522-長福寺)を建て、定基は夢に現れた文殊菩薩のお告げの場所に力寿の舌を埋め、財賀村に力寿山舌根寺を建立した。 (関連記事:持統上皇行在所跡


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五反田 平成二十七・八年 | トップ | 品川大崎 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿