(塩の道 長野県北安曇郡小谷村)
千国街道は、かつて越後糸魚川から信州松本まで、主に塩や海産物を運んだ街道である。そして今回、先回の簗場地区以来の千国街道歩きとなった。
「牛方宿」は、一般の地名を冠に付けた街道宿場と意味合いは違い、当時の物資輸送手段であった、牛や馬を扱う人「牛方」の泊まる宿として捉えるものであり、街道筋には何軒か存在したという。然し、往時の風情を残すのは、千国鞍掛の牛方宿一軒だけとなり、貴重なものとなった。
江戸時代末期の建物は平成9年に村有形文化財となり、その後修復が施され、平成16年に資料館となった。
この後、「親坂」を下り、千国集落へ向かった。
(関連記事:安曇野2007秋 栂池高原)
千国街道は、かつて越後糸魚川から信州松本まで、主に塩や海産物を運んだ街道である。そして今回、先回の簗場地区以来の千国街道歩きとなった。
「牛方宿」は、一般の地名を冠に付けた街道宿場と意味合いは違い、当時の物資輸送手段であった、牛や馬を扱う人「牛方」の泊まる宿として捉えるものであり、街道筋には何軒か存在したという。然し、往時の風情を残すのは、千国鞍掛の牛方宿一軒だけとなり、貴重なものとなった。
江戸時代末期の建物は平成9年に村有形文化財となり、その後修復が施され、平成16年に資料館となった。
この後、「親坂」を下り、千国集落へ向かった。
(関連記事:安曇野2007秋 栂池高原)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます