(岐阜市司町 岐阜県近代化遺産)
凡そ、二年振りに訪れるが、隣接する岐阜大学附属病院跡地は、ようやく一部建物が解体され始めている状態であった。
明治4年(1871)、笠松から県庁がこの地に移転した。昭和41年(1966)岐阜市郊外薮田に移転するまで、この建物が県庁舎であった。大正13年(1924)に竣工した庁舎は、RC造地下1階地上3階、延面積7,759㎡の庁舎棟と、一部SRC造延面積1,656㎡の議会棟からなり、当初は11階建て塔屋付きになる予定であったが、建築段階で関東大震災が発生し、現在の構造に急遽変更されたという。内装材料に、赤坂金生山産のシカマイア(古生代二枚貝)化石含有大理石を使用し、ステンドグラスを採用するなどの特徴がみられる。
凡そ、二年振りに訪れるが、隣接する岐阜大学附属病院跡地は、ようやく一部建物が解体され始めている状態であった。
明治4年(1871)、笠松から県庁がこの地に移転した。昭和41年(1966)岐阜市郊外薮田に移転するまで、この建物が県庁舎であった。大正13年(1924)に竣工した庁舎は、RC造地下1階地上3階、延面積7,759㎡の庁舎棟と、一部SRC造延面積1,656㎡の議会棟からなり、当初は11階建て塔屋付きになる予定であったが、建築段階で関東大震災が発生し、現在の構造に急遽変更されたという。内装材料に、赤坂金生山産のシカマイア(古生代二枚貝)化石含有大理石を使用し、ステンドグラスを採用するなどの特徴がみられる。
今度はご連絡しますね~
逢いたかったわ~