(愛知県宝飯郡一宮町豊津 1993年3月23日)
一宮中部地区圃場整備事業により辺りは一変した。それまでの不規則な区割りの耕地から碁盤状に改修され、旧松原用水も現在の流量に沿った幅へと改修されつつあった。旧松原用水は、明治2年(1869)豊川への河口の付け替えが行われた宝川の流路跡を利用して、松原用水の前身である大村井水の取水口がそれまでの日下部(草ヶ部)村から松原村に変更されてから、昭和43年(1968)牟呂松原用水頭首工に統合され、照山分水工井嶋サイフォン経由となるまで、松原・豊津地区を流れていた旧水路である。工事によって削られた用水の護岸を見ると、初期の石積みや、陶磁器の破片等が散見していた。
元々は三枚の板を渡しただけであった見板橋(三板橋)
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