(今治市孫兵衛作・西条市(旧東予市)河原津)
好奇心旺盛な者なら思わず近寄ってしまうような風貌の山、医王山。
標高約100mのこの山の上部は、岩塊によって周囲の山との異様さをみせている。
東方に瀬戸内海燧灘、西側に世田山、南に永納山が控える旧越智郡、桑村郡境の海岸山地。辺りの山の殆どは、城砦として使われていた。
検出された遺構によって古代城郭と判断された国指定史跡、永納山城の一部とみられるこの医王山は、人々を近づけつつも間近には寄せ付けない、その絶壁や深い草木によって変わらない姿を今に残している。
この医王山は、古代から中世に至るまで、武士たちの砦として使われたのは間違いないであろう、その位置、形状、面持ちである。
好奇心旺盛な者なら思わず近寄ってしまうような風貌の山、医王山。
標高約100mのこの山の上部は、岩塊によって周囲の山との異様さをみせている。
東方に瀬戸内海燧灘、西側に世田山、南に永納山が控える旧越智郡、桑村郡境の海岸山地。辺りの山の殆どは、城砦として使われていた。
検出された遺構によって古代城郭と判断された国指定史跡、永納山城の一部とみられるこの医王山は、人々を近づけつつも間近には寄せ付けない、その絶壁や深い草木によって変わらない姿を今に残している。
この医王山は、古代から中世に至るまで、武士たちの砦として使われたのは間違いないであろう、その位置、形状、面持ちである。
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