(奈良県大和高田市)
高田城は、片塩小学校付近一帯にあったとされ、大和永享の乱の最中の永享四年(1432)足利義教の命により、當麻寺を創建した当麻皇子の裔当麻(高田)為貞が城主に任じられたのが始まりという。文明三年(1471)為長のとき、城に隣接して一族の武運長久と歴代の菩提を弔うため常光寺を建立している。永禄十一年(1568)筒井氏臣布施氏によって高田城は攻められる。この後四年にわたって封鎖攻めに遭ったが、織田信長の支援を受けた松永久秀によって解消された。然し、筒井氏が再び勢力を持ち始め松永氏を圧倒、信長は筒井氏に大和国を任せるようになった。そして天正八年(1580)信長は大和国衆の城砦の破却、所領高の指し出しと自害を命じ、当麻高田氏は滅亡した。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます