flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

一宮線大江川橋梁跡

2009-11-06 00:00:41 | RODEN-哀愁のRailway-
(愛知県一宮市大志)
 一宮名鉄百貨店が閉店し、マンションに変わってから9年が経った。昭和40年(1965)東一宮駅跡地を名鉄丸栄百貨店として開業したのも、忘れられた過去のこととなった。今は付近を見渡しても、この橋台の跡と、一部盛り上がって残っている路盤の痕跡が見られるのみである。
 かつて、本線の役割を担っていた一宮線の歴史は、大正2年(1913)名古屋押切町~枇杷島橋~岩倉~東一宮が複線で開業したのが始まりである。然し、昭和3年(1928)名岐線として枇杷島橋~新一宮間が開通すると、次第に犬山線の支線のようになっていった。そして、戦時中の金属供出により単線化された。然しながら、営業係数は良く、その後も多く利用されたが、昭和38年(1963)の国道22号名岐バイパスの交差が問題となり、バス化され廃止となった。

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2 コメント

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そのマンション (けんちゃん)
2009-11-08 02:46:53
名鉄丸栄百貨店の跡、マンションとなりその南側にも建設されました。
ビル風が原因で屋根を飛ばされた家屋があり、全国的にも有名な建設反対運動のあった場所です。
たまたまその西の本通で1998年マンションの建築を担当したのでそのオーナーさんが反対運動の長を務められた関係でTV取材を受けました。

一宮は母の在所が近くにあり、幼い頃の田園風景を今でも覚えています。パノラマカーを絵日記にしていた小学校低学年の頃です。

七夕祭りのからくりが楽しかったこと真清田神社界隈の賑わっていたことの記憶はありますが、一宮線についてはまるで知らなかったです。
言われてみれば岩倉方面に延びる街道に路盤の違和感を感じていたのが廃線の名残かな。
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けんちゃんさん (kourei)
2009-11-08 23:44:24
一宮も様相が変わりました。
市街地の商業施設の後継はマンションというところが多いですね。
平地にニョキっと生えたような大きな建物の傍は、凄い風が吹きます。私も通勤のとき、高層マンションの横で傘を何本折られたか、、、

一宮でも反対運動が起きたのですね。
一宮はのんびりしたところというイメージがあるのですが、最近はのんびりを通り越して、サミシイイメージになってきて残念です。

一宮は私もよく父に連れて来られたところです。
訪れる度に、思い出を振り返ります。

年々一宮線の痕跡が消えていますが、辿ってみると何か遺跡のような発見があったりして、楽しく感じます。
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