(神奈川県鎌倉市由比ガ浜 市指定有形文化財)
鶴岡八幡宮一ノ鳥居の程近くに畠山重保の屋敷跡と宝篋印塔がある。元久元年(1204)源実朝の御台所を迎えるため上洛していた重保は、北条時政の後妻牧ノ方の娘婿平賀朝雅と口論となり、朝雅と牧ノ方はこのことを時政に告げ口した。元久二年(1205)重保は当地にて、父の重忠は二俣川(横浜市旭区)において北条氏によって滅ぼされた。明徳四年(1393)に至り、この宝篋印塔が造立されている。
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