flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

庚申塚 川田原13号墳

2016-06-17 00:00:00 | いにしえびとの睡

(川田原古墳群 愛知県新城市川田字本宮道 1991年11月13日踏査)
 飛鳥時代まで、愛知県東三河地方は穂國(ほのくに)と呼ばれていた。白鳳時代に入って、国郡里設置により三河國穂評となり、大宝律令施行後の和銅六年(715)五月、国郡に二字の好字を用いるという詔(みことのり)によって寶飫(ホオ)郡と改められた。その後、飫の字を飯と誤り、寶飯郡と書き読まれる様になったとされている。然し、郡域が大変広大であったため、周辺の郡の規模に近づけることとなり、平安時代の記録『民部省 延喜式 頭注』によると、延喜三年(903)八月十三日、「割寶飯郡、置設楽郡」という記述が見える。このとき定められた境界が、川田原台地(新城市)と滝平台地(一宮町)の間を流れる境川である。その川田原台地にはかつて34基以上の古墳があったといい、戦中戦後の開墾によってその多くが滅失したが、この古墳は江戸時代に墳丘の上に自然石の庚申塔が建てられたため、「庚申塚」という信仰対象となったことから早くから公有地となり、破壊を免れた。付近は工場や住宅が建ち並んでいるが、この庚申塚の一角は、開墾前の面影を伝えている。

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