flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

音羽富士

2025-04-22 00:00:00 | かみのやしろ
(東京都文京区大塚)
 護国寺不老門東側に高さ6mの富士塚がある。文化十四年(1817)山護講によって本堂西側に築造され、明治18年(1885)現在地に移築されている。平成元年(1989)修復、整形が施された。


千駄ヶ谷富士 - flow Trip -archive-

(東京都渋谷区千駄ヶ谷都有形民俗文化財)鳩森八幡宮の境内にある富士塚は、富士山に見立てた築山に浅間神社等を祀って信仰する富士信仰である。千駄ヶ谷富士は寛政十年(1798...

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目黒元富士跡 - flow Trip -archive-

(東京都目黒区上目黒)目切坂の坂上に富士塚の跡がある。文化九年(1812)富士信仰の富士講が築造した富士山に見立てた塚である。文政二年(1819)中目黒にも富士塚が築造され、...

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大塚先儒墓所

2025-04-21 00:00:00 | いにしえびとの睡
(東京都文京区大塚 国指定史跡)
 水戸藩の儒師であった人見ト幽軒の屋敷であったこの地は、寛文十年(1670)ト幽軒が没し、この地に葬られたのが儒葬(喪に服する期間が三年)墓地の始まりとされる。敷地内には岡田寒泉、古賀精里、柴野栗山及び尾藤二洲の寛政の三博士の他、木下順庵、室鳩巣ら儒学者とその家族四十六基の墓がある。











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カイザースラウテルン広場

2025-04-20 00:00:00 | まちの美
(東京都文京区大塚)
 昭和63年(1988)ドイツ、カイザースラウテルン市と文京区の姉妹都市提携のシンボルとして、区立窪町東公園に彫刻家ゲルノト・ルンプフによってモニュメントが作製された。





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吹上稲荷神社

2025-04-19 00:00:00 | かみのやしろ
(東京都文京区大塚)
 元和八年(1622)徳川秀忠が日光から稲荷神を勧請し、江戸城吹上御殿内に東稲荷宮として祀ったのが始まりという。徳川綱吉のとき城内から一ツ橋(千代田区)に遷座し、その後、陸奥守山藩主松平家の江戸屋敷(現教育の森公園)内に遷している。宝暦元年(1751)大塚村の鎮守として現社名となり善仁寺(区内小石川)内に遷座した。その後、護国寺内、明治5年(1872)大塚上町、明治15年(1882)大塚仲町、明治45年(1912)現在地にそれぞれ遷座した。



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大塚五丁目

2025-04-18 00:00:00 | ろうじ
(東京都文京区大塚)
 春日通りから坂下通り(水窪・音羽川跡)に至る階段と路地。



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本伝寺

2025-04-17 00:00:00 | ほとけのいおり
(日蓮宗大法山本伝寺 東京都文京区大塚)
 創建は不詳ながら元和元年(1615)に改宗され、往時は八つの塔頭があったという。



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傳明寺庚申塔

2025-04-16 00:00:00 | 石のまもり
(東京都文京区小日向)
 傳明寺の境内に板碑型の庚申塔がある。寛文十年(1670)に造立され、上から日月、奉修庚申為諸願成就也の文言、三猿が彫られている。


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鏡翁山傳明寺

2025-04-15 00:00:00 | ほとけのいおり
(東京都文京区小日向)
 開山は寛永元年(1624)。慶安三年(1650)徳川家光が鷹狩りの帰途、庭一面に藤の花咲くのを見て、「これぞ藤寺なり」と言ったという。境内に尾張屋寄進の石造十一面観音像があり、傍らには観音水がある。また、板碑型の庚申塔がある。



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切支丹坂

2025-04-14 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都文京区小日向)
 坂上の切支丹屋敷に由来する。
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切支丹屋敷跡

2025-04-13 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都文京区小日向)
 寛永二十年(1643)イタリア人宣教師10人が筑前に漂着し、捕らえられて江戸送りとなり伝馬町(日本橋)の牢屋に収容された。その後、正保三年(1646)宗門改役であった下総高岡初代藩主井上政重の下屋敷(現在地)内に牢と番所を設け、そこへ収監された。これが切支丹屋敷の始まりであるが、いわゆる囚人扱いではなく、宣教しないことを条件に軟禁状態の生活を送った。寛政四年(1792)に廃止されている。
 平成26年(2014)井上家下屋敷跡及び切支丹屋敷跡に含まれる集合住宅建設に伴う小日向一丁目東遺跡発掘調査の際に3基の墓と人骨が出土し、内1人は西洋人、1人はアジア人と推定され、西洋人はジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ神父と推定されている。
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小日向一丁目東遺跡

2025-04-12 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都文京区小日向)
 平成26年(2014)集合住宅建設に伴う発掘調査で、縄文時代早期の屋外炉、弥生時代後期から古墳時代前期、奈良、平安時代、江戸時代の建物跡遺構が検出された。この内、江戸時代の遺構は切支丹屋敷跡のものが含まれると推定される。
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Maison Kaeruzaka

2025-04-11 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都文京区小日向)
 蛙坂にある平成15年(2003)に築造されたRC造3階地下1階、8戸の集合住宅である。僅か20年で解体の道を選んだ。



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蛙坂

2025-04-10 00:00:00 | 街道・宿場町
(複坂 東京都文京区小日向)
 江戸時代、坂の下の清水谷(深光寺下)の湿地に蛙がおり、また坂を挟んで馬場六之助抱屋敷内の池に棲む蛙と蛙合戦をしたところから、蛙坂となったという。
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深光寺の金石文

2025-04-09 00:00:00 | いにしえびとの睡
(浄土宗清水山松林院深光寺 東京都文京区小日向)
 寛永十六年(1639)清水庵として開創され、境内には南総里見八犬伝作者の曲亭馬琴(滝沢興邦1767-1848)と妻百、子の興継の妻、土岐村路(ときむらみち1806-1858)の墓がある。また隣接して寛政元年(1789)に造立された、聖徳太子御作 厄除観世音菩薩文言の石幢があり、茗荷坂に面した斜面には、多くの墓標石仏があって、更に本堂前には切支丹燈籠がある。



















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茗荷坂

2025-04-08 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都文京区小日向)
 付近で茗荷(みょうが)が栽培されていたことに由来する。茗荷谷も同意。



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