小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

11月15日1 30番、29番

2016-12-18 | 四国遍路 土佐(高知...
11月15日1 30番、29番
5時起床。天気は良さそうで暖かい。そこで雨具やダウンなどと着替えた衣類を宅急便で自宅に送った。本当は出会った遍路宿で泊まるのが理想的なのだがちょっと不安なのでもう一泊の予約も済ませる。そしてバイキング朝食も食べずにバス乗り場へ行く。昨夜は土砂降りだったのに幸いかな晴れていた。
7時のバスに乗り一宮神社前で降りる。神社の立派で長い参道の先に善楽寺はあった。





30番 善楽寺(ぜんらくじ)
ご詠歌 人多くたち集まれる一の宮 昔も今も栄えぬるかな
本尊 阿弥陀如来
平安時代に官道として開かれた土佐北街道の南にした小山にある。大師が巡礼した折に一宮神社の別当寺として創建した。神仏習合の寺院として信仰を集め、長宗我部氏や山内氏らの保護を受けおおいに栄えた。大師堂は大正時代に建てられて厄除け大師として有名。また、大師が造ったという地蔵尊が祀られた子安地蔵堂や境内の手水舎の下で石の手水を支えている天邪鬼がある。




納経所は7時からあく。そしてこの時は7時20分。誰もいない境内だったが一人男性遍路がやってきた。掃き清められた朝の境内は気持ちいい。花の季節ならなおよいこじんまりした札所だった
先を急がなければと来た道をバス停まで戻る。この辺りには遍路道の案内板が殆どないので苦労ながら畑の中の道を歩いた。ここは長宗我部氏が領主として地検をした場所でもあった。
バス停で待つこと25分。国分通りへと向かった。






29番 国分寺(こくぶんじ)
ご詠歌 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり
本尊 千手観世音菩薩




聖武天皇が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。当時は土佐が中心地だった。「土佐日記」を書いた紀貫之が4年間国司として赴任していた所でもある。邸宅跡も残っている。
寺伝によるとのちに大師がこの地を訪れ毘沙門天像を彫造して奥の院に安置した。その際に本堂で真言八祖に継承される厄除けの「星供の秘法」を修めた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
庭園の美しい札所。納経所は由緒深げな庭園の中にあった。お摂待として珈琲、紅茶、緑茶などの無料自販機?があったのが嬉しい。この日初めての珈琲にありついて一息つけた。誰にも出会わなかった。その後はバス停までテクテク戻り、さらにバスで高知駅まで戻った。










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11月14日 36番、35番

2016-12-16 | 四国遍路 土佐(高知...
11月14日 36番、35番
仕事で北九州へ行った。それを機に残った札所を廻る決意をした。
小倉駅から朝一番の新幹線で岡山へ。高知まで乗り換えなしの予讃線特急アンパン号に乗車。岡山で買った駅弁を食べながら景色を楽しむ。大歩危という駅があった。亡兄と川下りしたことを切なく思い出す。









高知駅に着いたのは11時半。右も左もわからない。ショッピングモールはあるけれど観光案内風な所がない。地図で見ると36番から28番までは固まっているように見えるので一番橋の遠そうな36番を今日の目標としていた。36番の青龍寺の近くには評判のいい国民宿舎があるからそこで一泊もいいけど翌日からの行程を考えると無理だろう。高知市を起点にした方が効率良さそう。
やっと「高知よさこい情報交流館」という粋な建物を見つけた。散々調べてきたことはなんの役にも立たない腹立たしさを呑み込んで教えられたバス停へ。
天気は悪い。混んでいたバスも終点の「宮前スカイライン入口」ではわたし一人になっていた。誰もいない漁港の町。遠くに赤い橋が見えた。あれが宇佐大橋なのね…気を取り直して歩き始める。橋まで長く、橋も長く、あの後はもっと長かった。海なりの道。曇天までを背負っている感じだ。浜辺に降りて波と戯れているお遍路さんがいたが羨ましくもそんな気にならない。
ようやく仁王門に辿り着いたがなんと長い石段が待っていた。




36番 独鈷山 青龍寺(しょうりゅうじ)
ご詠歌 わずかなる泉にすめる青龍は 仏法守護の誓いとぞきく
本尊 波切り不動明王
36番札所青龍寺は標高40m。仁王門を潜り階段を登り詰めると本堂。その左に太子堂。納経所は仁王門手前左。
遣唐使として唐に渡った大師は長安の青龍寺で恵果に師事して密教の奥義を学んだ。帰国した大師は恩師の恩に報いるために日本にも青龍寺を創ろうと四国巡礼中にこの地に感じるところがあってお堂を建て石像の不動明王を安置して開創した。大師が唐に渡る折に船が遭難し不動明王が暴風雨を鎮めてくれたからだという。青龍寺は航海の安全、豊漁祈願、世間の荒波を鎮めてくれると信仰を集めてきた。愛染明王は国の重要文化財。







やっとお参りを済ませると14時を廻っていた。交通の便を甘く見ていた罰か、これからどうしたものかと悩む。バス停まで戻ってきたバスに乗る?しかし、降りたバス停はあまりにも遠く、近くのバス停にバスは来ない。バス停には大きな温泉旅館があって客の送迎をしていた。歩いてるときは誰もいなかったのにかなり大勢のお参りがあるのも納得。
行程を考えると今日中にもう一寺は廻らなければ。納経所でタクシーを呼んで貰った。奥の手である。

35番の清瀧寺はツアーでもタクシーに乗り換えるほどのくねくねした細い山道が続くらしく難所である。ネットでは清瀧寺送迎タクシーというサイトがかなりあり、マイカーの人もここではタクシーに乗ることを推奨されている。ああ、降り出しそうな空に迫る夕刻。

車は速い。
35番 医王山 清瀧寺(きよたきじ)
ご詠歌 澄む水を汲はむ心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣
本尊 厄除薬師如来
寺伝によると行基が薬師如来を創り堂を建立したのが始まりとされている。のちに大師が五穀豊穣を祈願して阿迦井権現と竜王権現を勧請するために壇を築いて法を納めた。その満願の日に杖で壇を突くと清水が湧き出た。その水は今も周辺をうるおしていて土佐和紙つくりも盛んとなった。
仁王門の天井には見事な龍が描かれているらしい。車で来るとこういうのは見損なう。







山の上にこじんまりと本堂と大師堂が並んでいた。真ん中に大きな観音像が立っている。晴れていたら太平洋まで見えるそうだ。文旦発祥の地らしく人の頭ほどの実がたくさん実っていた。美しい。歩きであれば仁王門までとそこからの長い石段が待ち受けているようだ。駐車場は石段を上がった所だからありがたいような勿体ないような感じ。



待っていてもらったタクシーで高知駅前のホテルまで行く。雨が降り始めた。
ビジネスホテルは事前にネットで予約してあった。
取りあえず一休み。そういえば朝の駅弁しか食べていなかった。
傘を借りて外に出た。はりまや橋の方まで行けば無数に飲食店があるらしいが傘を差してそこまで歩く元気がなかった。
明日の行程を考えなければならないので高知に着いたときに尋ねた「高知よさこい情報交流館」に行った。実に親切だった。たくさんの時刻表をくれ「My遊バス」の説明をしてくれた。路線はたくさんあるがともかくも本数が少ない。
それらを持って駅の食堂でカツオたたき定食を食べた。空腹なのにおいしくなかった。土砂降りの雨のせいかもしれない。




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10月28日 39番

2016-12-16 | 四国遍路 土佐(高知...
10月28日(雨)39番
39番 赤亀山 延光寺(えんこうじ)
ご詠歌 南無薬師諸病悉徐の願こめて 詣るわが身を助けましませ
本尊 薬師如来
豊後水道に臨んだ宿毛市は海の幸に恵まれて昔から発展してきた。ここは修行の道場といわれる土佐で最後の札所。赤い亀が竜宮からの使いで梵鐘を背負ってきたと伝わっている。
聖武天皇の勅願を受けた行基が開いた。のちに大師が訪ねて日光・月光菩薩を安置して桓武天皇の勅願所となった。竜宮城から赤亀が運んできた鐘は今も寺にあって重要文化財となっている。大師が杖で地面を叩いたら湧き出た霊水は眼病に効く。その「目洗い井戸」で目を洗うお遍路さんが多い。






6時に起きて延光寺には9時に着いた。やはり距離がある。
遍路で初めて傘をさすほどの雨だった。雨に洗われている庭が美しかった。傘はなくては困るけれど歩きだったらかなり辛いだろうと思う。
あまり長居もせずに次の40番に向かった。









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10月27日2 38番

2016-12-14 | 四国遍路 土佐(高知...
10月27日2 38番
12時半から56号線をひた走り四万十川と中筋川の交差する地点を越えると足摺は近い。観光地の看板も見え始めたがまだ先は長かった。一人で歩いている遍路さんの姿が時折見える。「よければ乗って行きませんか?」と声をかけたい衝動に駆られるが、それを許さない毅然とした雰囲気があってできなかった。自分なら地獄に佛の気持ちになるだろうにな。歩き遍路にもさまざまなタイプがあり人生観がある。そんなことを思っていると樹林の中のアスファルトに変わった道が明るくなった。そのまま足摺岬駐車場に入った。
さて、金剛福寺はどこ?振り返った先の左方にそれらしきものが見えた。

38番 蹉跎山 金剛福寺(こんごうふくじ) 
ご詠歌 ふだらくやここは岬の船の竿 とるもすつるも法の蹉跎山
本尊 三面千手観世音菩薩
境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落(観音様が暮らす楽園)の世界を感得した。とある。嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅願を受けて大師が千手観世音菩薩を創りそれを本尊として開創された。以来、代々の天皇の勅願所となって栄えた。室町以降は武将たちとの縁が深く多くの多宝塔や講堂の建立を受けてきた。






広さと美しさで人々を圧倒させる札所だった。
写真は夫に任せて隅々までゆっくり歩いた。補陀洛をイメージして作られた寺だと実感できた。





「お参りが済んだから観光しよう」
ゆっくりと足摺岬の遊歩道を歩いた。南国の密林風でありながら椿の森が広がっていた。全開したら海の碧を背景にして壮観だろうなと想像する。岬の突端に絵はがきのように白い灯台があり、反対側の遊歩道の先には恋人の聖地があった。敷地内の売店で鍵を売っていてそれをかける場所があるらしい。パリにそんな橋があったのを思い出した。鍵をかけて写真を撮っているカップルがたくさんいた。市では橋が重くなるので対応に追われているらしい。どうして、そんなことを真似するんだろう。勿論、我々はそこまで足を伸ばさない。観光終了だ。そうそう、ここはジョン万次郎の生誕地らしい。帰ったら万二郎伝を読もうと思った。
予約した宿は近かった。ホテル足摺園。なんだか古めかしいが温泉だ。海に面した部屋からは海と空が美しく、皿鉢料理(豪華で食べきれなかった)よりも夕陽がなによりのご馳走だった。屋上の温泉に一人で浸って夕陽を堪能した。もう少し寒ければダルマ夕陽になるのだそうだ。
夫は清水鯖がお気に入り。曰く久々においしい鯖を食べた。土佐といえばカツオを思い浮かべるが土佐の清水サバはあの関サバに匹敵するらしい。サバアレルギーながら二きれ食べた。おいしい!アレルギーは出なかった。こういうのこそ現地に行かないと食べられない。












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10月27日1 37番

2016-12-13 | 四国遍路 土佐(高知...
(晴)車遍路
3時半に起床。4時半に和歌山港。5時半発ののフェリー出港。7時半に徳島港。
高速で19のトンネルを通過。途中、上板SAで朝食。南国SAを過ぎると遠くに海が見えた。
岩本寺に11時到着。




37番 藤井山 岩本寺(いわもとじ)
ご詠歌 六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田の神のたのしみ
本尊  不動明王 聖観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
四万十川に近い高台に建つ。神仏習合の名残で「5つのご本尊様」が祀られている。
寺伝によれば聖武天皇の勅命を受け行基が開創した七福寺が起源であるという。のちに大師が五社・五寺からなる福円満寺へと発展させ、五社寺にそれぞれ本尊を安置したという。多くの札所と同じように戦乱や火災、明治の廃仏毀釈などによって廃寺の危機を何度か乗り越えてきた。
昭和53年に本堂が再建され、その際に全国の有志から寄せられた575枚の絵が格天井画として華やぎをはなっている。洋画や日本画、水彩画などさまざまな手法で描かれ、題材も仏像からマリリン・モンローまで多彩。









寺の傍を土佐くろしお鉄道が走っていて、わりと町中にあるこじんまりとした寺だ。参道の入口の和菓子店に秋限定の「三度栗」が有名。栗の形のまんじゅうの中に栗餡、またその中に栗が入っているという「三度栗」にかけたものらしいがなんとなく買わなかった。先を急いでいたのだろう。

ここから足摺岬に向かう。途中お昼になったがなかなか食堂もコンビニもない。やっと、それらしきものがあって駐車場へ。目立たないがそれなりのホテル兼レストランだった。なぜか、お客が多い。帰宅して調べてみると「土佐佐賀温泉 こぶしのさと」というらしい。温泉だったとは。それにしては見かけも周囲も地味だった。ランチはおいしかったけど。





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