和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

鶲(ひたき)/今日の俳句 ≪No.1558》

2014年09月27日 07時00分35秒 | 今日の俳句
鶲(ひたき)/今日の俳句 ≪No.1558》

   ☆鶲(ひたき))/今日の俳句☆  

☆★☆*≪No.1558≫☆彡★……☆★☆
 2014年(平成26年)9月27日(土)


○ 伊藤律会見報道事件
1950年(昭和25年)9月27日朝日新聞は、同社神戸支局の記者が、当時レッドパージによって団体等規正令違反で逮捕状が出ていて地下に潜伏中だった日本共産党幹部の伊藤律と宝塚市の山林で数分間の会見に成功したと報道した。
会見模様として伊藤の表情が書かれ、記者との一問一答まで紹介されていた。また会見の状況として、記者は目隠しされた上で潜伏先のアジトまで案内されたと説明された。
この会見記事には、伊藤の行方を追っていた警察も重大な関心を寄せることとなった。しかし法務府特別審査局の聴取に対し、取材記者が伊藤律と会見していたとする時刻に旅館にいたことが発覚するなど供述に矛盾が出て、ついに会見記事が完全な虚偽であったことが記者の自白により判明。朝日新聞は3日後の9月30日に社告で謝罪した。
事件の結果、担当記者は退社、神戸支局長は依願退社、大阪本社編集局長は解任となった。担当記者はその後に占領目的阻害行為処罰令違反で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。担当記者は捏造の動機について特ダネを書こうという功名心からと述べた。
出稿前に大阪本社通信部のデスクから信憑性を疑う声が出たが、編集局長は現場の声に押されて掲載を決めた。東京本社ではさらに共産党担当記者から伊藤がインタビューに応じる必然性がないなどの声が出たが、「大阪がそこまでがんばるなら」という声に押されて報道に踏み切った。
朝日新聞縮刷版ではこの記事は非掲載となっており、該当箇所は白紙で、虚偽報道であったと「お断り」告知になっている。
また、昭和(戦後)の三大誤報のひとつとしてあげられる。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■



  さきがけれ鶲の声の初明り     
       田村木国


  鶲美太陽を背に飛びうつり    
       原コウ子


  尉鶲つかまり立ちの児を囃す    
       小熊一人



※ 鶲(ひたき)・尉鶲(じょうひたき)・火焚鳥。
スズメ目ヒタキ科ヒタキ亜科Muscicapinaeの鳥の総称。
ヒタキ類の特徴の一つとして,枝に止まっていて,飛んでいるハエやアブなどを見つけると飛びたってつかまえ,またもとの位置に戻る習性がある。
したがって,この採食法をしばしば〈ヒタキ型採食法〉と呼ぶ。ヒタキの語源は〈火叩き〉または〈火焚き〉といわれ,ヒタキ類の多くは火打石をたたきあわせる音に似たヒッヒッ,ピッピッ,カタカタという声をよく出すことによる。

【世界大百科事典 第2版・解説】


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 ■※わが友に贈る/名字の言■

【「聖教新聞」2014年(平成26年)9月27日(土)より転載】

 聖教は希望の哲理を

 地域に社会に発信!

 尊き新聞長をはじめ

 拡大に尽力する

 同志の皆様に最敬礼!

      9月27日




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※名字の言※


 
作家の赤川次郎氏は、時代設定をしないで書くことを常とした。そんな氏の筆を泣かせたのが、時代とともに移り変わる「電話」だった



10円硬貨でかけるダイヤル式の公衆電話は、ほとんど姿を消し、電話はとうに持ち歩く時代。氏は言う。「携帯電話っていうのは、本当に小説を変えてしまいました。携帯電話があれば、『すれ違い』なんてないですから」(阿刀田高編『作家の決断』文春新書)



電話ボックスも、めっきり存在感がなくなった。だが、震災被災地の岩手県大槌町を訪れた際、小高い丘の上にある、白いそれが目に留まった。中には、線のつながっていないダイヤル式の黒電話が。「もう会えないけれど、今も心の中にいる大切な人に、あなたの気持ちを伝えてください」との思いで、同町に住む男性が設置したものだった



どんな気持ちで、訪れた人は受話器を手にしたのだろう。電話の横に、訪問者が書き残したノートがあった。「ケンカしたまま別れた父と話しました。やっぱり、ありがとうしか言えないものですね」。実に多くの人が「ありがとう」と記していた



人の心に残した感謝は、良き人生を生きた証しであり、感謝は、生死を超えて人の心を温かく結ぶ。時代は変われど、この道理が変わることはない。(代)



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