カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

はぐれ施療士、徳さん

2010-03-17 19:16:36 | 本日の贈答品
皆似たような状況にあると思うのだが、修行時代はともかく、独立して一人で開業となると、いつしか施療の実態は我流になっていしまう。
同じ師匠の下で修行したもの同士でも、何年振りかで会うと、その施療法がかなり違ったものになっている。

これには、やむを得ない面と、評価すべき面がある。

批判者は患者さんだけ、という世界なのだが、患者さんは症状が改善されれば賞賛を惜しまないが、らちがつかなかったり、症状がよりひどくなった場合などは、ただ、去っていくだけなのだ。だれも批判してくれないし、非難してくれない。

カイロの施療に問題があった場合でも、何も知らない施療者は、自分が治したなどと都合よく解釈してる場合だってありがちだ。
そうなると、我流の泥沼にズブズブっと、、、。

評価できる面というのは、施療者が出くわす患者さんの体のニーズに答えての結果、マニュアルからかけ離れていく場合だ。
施療者も体格、体力がそれぞれ違う。
同様に、患者さんの訴えも様々だし、体の条件も様々だ。
今まで教わって来た方法が通用しないと判った時、そこに創意工夫がなされ、その積み重ねによって、いつしかその人独自の施療法になっている場合。

久し振りにSさんがやって来た。
Sさんは、徳さんが修行中にある学校に通っていた時の同級生だ。
カイロとは少し違う施療法を身につけた人だ。
なかなかの変わり者で、今は、繁盛していた都心の施療院をたたみ、自然の溢れる環境を求めて三浦半島で開業している。

会えば、四方山話をしながらの施療のしあいっこになる。

お互い、20数年間、我流の施療法を身に着けていることになる。我流島の戦いとも云える。

Sさんは放置自転車のごとく、上部胸椎がかなりさび付いている。
久し振りで胸椎の矯正を受け、血行が回復したようだとご満悦。

徳さんは、日頃の患者さんには告白できないような不摂生の影響で全身がボロボロ。実は、、、。
Sさんの我流施療法で悲鳴を挙げるほどの快感を貰った

もちろん、すぐに盗用させていただく積もりだが、その習得にはなお若干の日時が必要のようである。

しばらくはこっそり患者さんを実験台にして研鑽することになりまする。よろしく。


只者でないバっちんの只者ではない痛み

2010-03-15 19:49:46 | 本日の患者さん
バっちんの脚のアキレス部を軽く押圧していた時だ。

「痛い!」特別な痛みに襲われたように叫ばれる。

バっちんの頬の筋肉を軽くつまんで揉もうとした時だ。

「痛い!」顔の表面を電気が走るようだとおっしゃる。

いずれもごく軽い押圧だ。

「こんなに軽い力で押しているんですよ」と、体の他の部分でその力を示すと

「でも、足の一点と頬は特別に痛い」とおっしゃる。

これらの痛みは徳さんがまだ経験したことのない訴えだ。
あれこれ可能性を考えたが、今のところ理解不能。これからの課題となる、、、。

でも、これらのやり取りの中で、段々バっちんがただの80歳を過ぎたご老人でない事が判明してくる。

「足の痛いところとは少し違うんですけど、踵の皮膚が少し変色しているんですよ」

「ここですね。押したら色が引いていきますから、色素沈着は無いようですね。毛細血管が発達してしまったんですね。その理由はよく判らないけど。これもこれからの課題ですね。それより脛の辺りの変色が強いじゃありませんか」

「ああ、これは蜂窠識炎(ほうかしきえん)の跡。モンゴルに行った時転んでばい菌が入ったの」

「蜂窠識炎といえば、化膿の程度の最上ランクですよ。この位は腫れたでしょう。これは痛かったでしょう」

「ええ、こんなに腫れて痛かったですよ」

「でも、モンゴルに行ったって事がすごいですね」

「インドに行った時は、生水は危険だから注意してたんですけど、歯磨きぐらいならと思って普段したら、唇がとんでもなく腫れたの。帰国してからお医者さんに見せたら、日本にはないとても強い毒性を持ったばい菌によるものだって」

「去年は、ペルーのマチュピチュの山に登ったのよ」

「ええ!標高が高いし、山道も整備されてないでしょう」

「その時は、他の人に迷惑かけちゃいけないから、息子に同行して貰いましたけどね」、、、。

バっちんは『喜寿からのゴルパー日記』というブログも毎日更新されている。
参った!

あわくったノンちゃん

2010-03-14 16:39:37 | 本日のノンちゃん
鳥類の目に表情はあるのか?徳さんは知らない。
たとえ、生物学的にないとされても、家族の一員として受け入れてる徳さん一家では、ノンちゃんの瞳に表情があると主張する。

この写真がその証拠だ。

好物の粟の穂をぶら下げられてご満悦のノンちゃん。幸せそうである。

実はノンちゃん。
こうなるまでには一苦労があった。

限られた世界しか知らされていないノンちゃん。
最初に粟の穂が鳥かごに持ち込まれた時は、恐れおののき、恐慌状態になり、狭い鳥かごの中を逃げ回っていた。

しばらく粟の穂を放置しても警戒して近寄ろうともしない。

しょうがないので、鳥かごの外から粟の穂を崩し、一粒一粒指先に乗せ食べさせ、徐々に塊を大きくしていき、やっとのことで慣れてもらった。

あれほど怖がっていた粟の穂。
今では格闘するように喰らいつくようになった。
考えてみればノンちゃんの身長より長いのであった。怖がって当然。

実は徳さんも、今まで粟おこしや粟餅や五穀米やらこはだの酢締めに乗ってるのやらで粟のことは知ってはいても、粟の穂というのははじめて見た。
こんなにもたわわに、こんなにもギッシリと実が成っているものとは思いもしなかった。
さすが、大昔の人々の主食の地位を長く保っていただけの風格がある。

徳さんも限られた世界しか知らないようだ。

いささか躁状態の、タっくん

2010-03-13 20:10:15 | 本日の患者さん
患者さんを相手に、毎日毎日、同じような事を説明し、同じようなカイロの施療をしてて、よく飽きないものだと自分でも思うが、これが意外に新鮮な毎日なのだ。

今日のトピックス、といったものが必ずある。

かつて徳さんがカイロプラクティック修行中に教わった手技ではやらせてくれない患者さんに出くわす。(身障者の方はほとんどそうだといっていい)そんな場合、施療法を工夫していくしかない。その試行錯誤にはちゃんとある種の快感が付録として付いてくる。

徳さんの知らない病名をお医者さんから告げられてる患者さん。(ただただ徳さんの不勉強のせいだが、、、)そんな時、徳さんはなるだけ問題を簡略化しようと試みるようにしている。人の体のしくみは複雑だけど単純だ、という所から考えるのもありだと思っているからだ。複雑なことはお医者さんにお任せしよう。(ここは多少の皮肉も入っておりまする)

不特定多数の患者さんが見えるということは、様々な形態の生活をしてる人々が見えるということとイコールなわけで、徳さんはいながらにして未知との遭遇の機会の多い立場を堪能している。

そして、今日のトピックス。

タっくんが半年振りにカイロにやって来た。正直言ってうれしい。
某大手の建設会社人事部の理不尽な配置転換に端を発してうつ病に罹ったタっくん。
休職に追い込まれた後、半年前までは定期的にカイロに見えていた。
それがある時からピタリと音沙汰なしの状態に、、、。
その理由はついさっきまで分からなかった。

抗精神薬のせいか、やたらとハイになっていたタっくんは様々なところで浪費を重ねるようになっていた。人におごる。服飾に身を飾る、、、。
ストレス買いみたいなものが極みを達して、ついに母上から一切の出費行為の禁止を申し渡された。
徳さんとこのカイロもそのまな板に登ったという次第だ。

かくしてタっくんは、近くの整骨院へ。

整骨院は保険適用ということで、とにかく安い。
一回500円とか言う世界だ。
数をこなさなければ経営が成り立たない。

必然的に保険適用の対応は、遠赤外線治療、機械によるマッサージを経た上での簡単な施療になる。
それにあき足らぬタっくん。当然のように、保険適用外の鍼灸マッサージを求める。
結果、費用はかなりなものとなる。(この整骨院は不法請求ということで行政から指導を受けたそうである)

そんなこんなで徳さんのカイロにUターンしたタっくんでした。


世界は分けてもわからない

2010-03-12 16:55:12 | 本日の抜粋

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 一九八〇年代のはじめ、複数の研究者たちがほぼ同時に、とても奇妙なことに気がついた。消化酵素は膵臓の細胞が合成する。(中略)これらの消化酵素はその活動に特別なエネルギーを必要としない。
一方、細胞の中で合成され、細胞の内部にとどまったまま、細胞内のタンパク質を消化するような酵素もたくさん見つかった。その中には、膵臓の消化酵素とは異なり、エネルギーを供給してやらないとタンパク質の分解を行わない、そのような特殊なタンパク質分解の仕組みが存在することが分かったのだ。
 これは細胞の経済学から考えても極めて非効率的なことであるように見えた。(中略)細胞がつくり出すエネルギーは有限であり、絶えず栄養素と酸素を必要とする。だからエネルギー依存的なタンパク質分解にはよほどの理由があるに違いない。  
 実際、そこには特別な理由があった。細胞は自ら進んで自分自身の分解を行っていたのである。細胞の内部には、いくつもの深い井戸がある。プロテアソームと名づけられたその井戸の中に落ちたたんぱく質はバラバラに解体される。ところが、細胞は、たった今つくり出されたばかりのタンパク質であっても、惜しげもなくそこに放りこんでいたのだ。放りこむために、わざわざエネルギーを使っていた。精妙な仕組みによって細胞内のタンパク質は次々と井戸に導かれていた。(中略) 
 この解体は、消化管に分泌された膵臓の消化酵素が食品タンパク質の情報を解体することと、行っていること自体は同じであってもその目的が本質的に違う。この解体は、自らつくり出した自己タンパク質に対して行われている。
 自己タンパク質の内部には、自己の情報が蓄えられている。生命現象という秩序を保つための情報がそこにある。しかし、宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則は、情け容赦なくその秩序を、その情報をなきものにしようと触手を伸ばしてくる。タンパク質は、絶えず酸化され、変性され、分解されようとしている。
 細胞は必死になって、その魔の手に先回りしようとしているのだ。先回りして、エントロピー増大の法則が秩序を破壊する前に、エネルギーを駆使してまで自ら率先して自らを破壊する。その上ですぐにタンパク質を再合成し、秩序を再構築する。
 細胞が行っているのは懸命な自転車操業なのだ。

福岡伸一 『世界は分けてもわからない』より 講談社現代新書

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理解が追いつかない所が多々あるにも関わらず、スイスイ読んでしまった。きっと、物語性にすぐれているのだろう。

長年の疑問、人の視線を感じるということの仕組みも判った。
網膜の奥に不完全な鏡のような装置があり、光を反射していたのだ。
人の目の渕に弱い光を識別する装置はあったとは、、、。

後半の、ガン細胞が発生する仕組みについて、世界中の化学者の熾烈な競争の中で、世界中が騙された、幻となった新発見のドラマは、最近徳さんが読んだ幾冊の推理小説より面白かったぞ。

それにしても、生き物の仕組みには驚かされる。

エントロピーの法則の支配下で、エントロピーの法則の一歩前を走り続けなければならない。
そのために、自己を殺す。殺す以上に自己を産む。
その競争に敗れた時が死だ。

そしてエントロピーの法則化にある地球。
人類は分子生物学から学ばなければなりませんぞ!

23年ぶりの患者さん、パハっちん(ハは小文字)

2010-03-10 17:49:30 | 本日の患者さん
85歳のパハっちん(ハは小文字)が娘さんに付き添われて施療にいらした。
数度にわたる脊椎の圧迫骨折で背骨の曲がりが強く、腰やお尻の痛みを訴えておられる。

カルテに名前や住所を書いてもらう。

「あれ、お母さん(どんなに高齢であっても、娘さんといらしている限りはその関係性で呼ぶようにしている)ずっと前にカイロにいらしたことがありますよ。確か2,3度見えたはずですよ。お名前を覚えているもん。ここが開業してまもなくの頃ですよ」

「おやまあ、そうですか。すっかり忘れてしまいましたね。その節はお世話になりましたねぇ~。」

パハっちん(ハは小文字)は背骨の後湾が強いのでうつ伏せや横寝で主な施療をすることになる。
圧迫骨折の既往歴があるということは、骨からカルシウムが逃げ出している訳だから、今現在のパハっちん(ハは小文字)の背骨も衝撃に弱いと考えなければいけない。
施療はパハっちん(ハは小文字)の表情を見ながら慎重に、慎重に。

日頃の限られた姿勢での生活のため、腰椎部での椎間板の詰まり具合が強い。

何とか仰向けの姿勢になってもらい、娘さんに手伝ってもらいながら、牽引の真似事ができないか?
手でやる牽引は、機械仕掛けのそれとは違って、状況に的確に(力加減の話だ)、何かあった時はすばやく対応できる(力を緩めるという単純な話だが)利点を持っている。

毛布をパハっちん(ハは小文字)の肩口から頭にかけて高くあてがって牽引することにした。
娘さんにパハっちん(ハは小文字)の両脇に手を突っ込んでもらいストッパーになってもらい、パハっちん(ハは小文字)の足をかなり高い位置にセットしてゆっくり引き上げるようにする。

これは、うつ伏せや横寝で恐る恐る筋肉を緩める施療より喜ばれた。

日頃、パハっちん(ハは小文字)が味わうことの出来ない感覚であることは間違いない。

パハっちん(ハは小文字)親子が帰られたあと、昔のカルテを引っ張り出して確かめると、昭和62年の患者さんであったことが確認された。
しかし、徳さんの記憶と違って、16回も施療していた事が判明した。

徳さんの記憶力も85歳になるパハっちん(ハは小文字)と50歩100歩だったというお話、、、。

寝つき問題、ガハっちん(ハは小文字)

2010-03-09 19:18:09 | 本日の患者さん
ほぼ1ヶ月振りにやって来たガハっちん(ハは小文字)。

なかなか忙しい様子だ。
予約を入れては、マネージャーさんからキャンセルの電話が入ることを繰り返していた。

「最近、又寝つきが悪いんです」とおっしゃる。

そりゃあそうだ。ガハっちん(ハは小文字)みたいな生活をしてれば誰だって寝つきぐらい悪くなるさ、と徳さんは内心で思うが口には出さない。
他人に時間を管理され、それをこなしていく生活は、かなりタフな人間でも、生き物としての生理に変調をきたすはずだ。
でも、それを承知で今の仕事を頑張っているガハっちん(ハは小文字)に何か申す事がありましょうか?といった気分だ。

施療途中で、ガハっちん(ハは小文字)からの質問。

「カイロと寝つきが良くなるというのは関係がありますか?カイロの施療を受けた後しばらくは良く眠れるんですが」

正直に答えるとしよう。

「う~ん。徳さんには良く判りません」

「直接カイロが寝つきを良くする、というのは理屈から考えて無いように思いますよ。ただ、実際にガハっちん(ハは小文字)がそんな印象を持っているなら少し考えて見ましょう」

「そうですねえ~」

まだ、良い答えが思い浮かばない、、、。
「そうですねえ~」なんて言ってるのは考える時間を稼いでいるだけ、、、。

「考えられる事の一つは、徳さんの施療は、ともかく全身を相手にすることです。肩が辛いといってる患者さんに対して、関係なさそうな足も結構真面目に施療します。極端に言えば、小指一本の訴えであっても、全身隈なくの施療をします。些細な一点のトラブルも実際には全身に波及しているからです。」

「そんな施療のやり方が、普段運動不足なガハっちん(ハは小文字)の体に適度な疲労を呼び、寝つきの良さを呼び込むんじゃないかな~。日頃、使われない筋肉を動かすことになるんだから」

「あと、考えられるのは、睡眠の中枢が延髄にあるという事です。脳みその芯の部分にある原始的な脳です。そこに血液を送っているのが椎骨動脈。首の骨の両側に穴が開いていてそこを通っています。頚椎や上部胸椎を正すことによって、延髄への血行が改善され、生き物として当たり前の状態になるというような事かな~」

その時は、こんな丁寧な言葉遣いをしてない事をご了承あれ。

とんでも復帰計画

2010-03-07 18:52:30 | 本日のしりきれとんぼ

あるうつ病の患者さんの職場の復帰計画をめぐっての話。
その患者さんに徳さんのところを紹介した患者さんから聴いた話。
その職場には、精神科を患い休職をしていた人に対する職場復帰計画なるものが存在する。
当然、人事課が作ったものだ。
これがどうやら机の上だけで作ったもののようだ。

職場復帰を3段階に分けている。

第一段階。
ともかく職場に出向き、タイムカードを押すだけで帰る。
これを1,2週間続ける。

第2段階。
第一段階を無事クリアーした場合、一日2,3時間の軽い肉体労働をしてもらう。用意しているのは職場の掃除。もちろんトイレ掃除も含む。
理由は、休職中、体がまなっているだろうから体を慣らすため。
期限は特になく、大丈夫と人事課が判断するまで。

第3段階。
発病時の職場に戻ってもらう。で、めでたしめでたし。

この大馬鹿野郎!!

この冷たいマニュアルはなんだ!

このマニュアル作りには精神科の嘱託医も指導的に参画したというのだからお寒い話だ。
さらに悲劇的なことは、労働組合がこのマニュアルに賛同していることだ。
どこもかしこも、おお、さぶ~。

このマニュアルで見事職場復帰を成し遂げた人が未だにいないんだそうだ。

当ったり前だ!!

ここには、人がなぜその職場でうつ病になってしまったのか?職場に問題点は無かったのか?
その人が特殊に抱える事情とは何か?
職場復帰に当たって、どんなことに配慮しなければいけないか?
その人にとって最善の段階的復帰とはなにか?
なんてことは一切考えられていない。

もう一度うつ病患者にお戻り下さいと促しているようにしか徳さんには思えない。

               

不思議な背骨、パっちん

2010-03-06 19:34:56 | 本日の患者さん
不思議な背骨などと断定してよいものかと、徳さん自信はないが、、、、。

永年人の背骨をいじりまわして来て30年近くになるがパっちんの背骨はかなり奇妙な感じを与える。

奇形とか病的という事ではないのだ。
それなら、今までさんざん出くわして来ている。

うつ伏せになってもらって触診するパっチンの背骨は上部胸椎に乱れがあり、腰椎に軽い側湾があるが、おおむね良好なのだ。
しかし、座位で寛いだ格好をしてもらうと極端な腰椎後湾となる。
横から見ると頭を残して完全にC型になり、顎は前に突き出て背骨は首の下の所で強く折り曲げられている。

そんな、日頃の悪い姿勢習慣が、30近くになった現在もパっちんの背骨に悪影響を及ぼしていないのだ。

施療をしているうちに段々判ってきた。

パっちんは異常と言って良いほど体が柔らかい。
背骨の周囲の靭帯がかなり柔軟なようだ。
これは遺伝的なものだろう。

体が柔らかいと、いちがいに喜んでいてはいけない。
人の出来ないとんでもない悪い姿勢を苦も無く出来るという時、人間の性としてその悪い姿勢を好んでするようになるからだ。

いずれ手ひどいしっぺ返しが必ずやって来る。

今回、パっちんの訴えは、首から肩へかけての痛みだ。
姿勢が悪いことを自覚しているパっちんは最近、猫背矯正ベルトなるものを購入し、装着したところ翌日から痛みが発生し、現在に至る。というのだ。

ところがパっちんは猫背ではなく猫腰なのだった。座位の時に限って、というのがパっちんの特殊なところなのだが、、、。
胸椎の並びは上部で右に軽く回転しているものの前後の並びは問題ない。
腰椎後湾がパっちんの問題点だったのに、問題のない胸椎に手を出した結果の出来事だった。

ご愁傷さま。

見知らぬわたし

2010-03-05 20:00:04 | 本日の抜粋

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* もう、そろそろ、この世をおさらばしたいのかもしれないなあ。  
 弱音を吐いているわけではないんです。
 「風になりたや 山のかぜ 里の風……」と、すこし身勝手がしたくてね。もういいんじゃないの、と、どこからか見知らぬ私が笑いかける、この中途半端な存在へ。
 まあね、これは昨今に限ったことではありませんけど。人間一匹、ひろい自然界で、自在に風と遊びたい。いのちのまにまに、天へ、地へ、です。

*  人間は強欲だけど、しかし環境の肉体的汚染・精神劣化を超える技術と思想ぐらい、国境を越えて生み出すと信じたい。   
 内外の呼応が断たれ、得体の知れない恐怖に閉ざされる不安を、三十代の女や男から聞かされる。もっと若い世代は、親世代の不安が生活様式化されていて、いつも一人ぽっちだという苦痛を。家庭でも学校でも居住地でもそのとおりであって、若く幼い自分について自問する自在な空間がない。あるのは外界にあふれる快楽。大人によって売られるそれら。
 かつてわたしらの幼少年期には、子供の快楽は気ままな遊びとして外化する余地がありました。侵略の谷間に。今、子供の快楽は大人が商品化して世界に満ち、お金と引きかえです。子どもだって、そのことを知っている。非現実こそ、残された現実界だと感じとってしまう幼少年たちの追いつめられた精神を、少年院へ送るのは大人界の罪だと、私は思っています。

*  働くことは労働とはちがう。それは愛すことだよ、いのちを。幸子さん、あなたのように。働くことはいのちを愛すこと、いのちを耕すこと。働く文明が欲しい。

森崎 和江 『見知らぬわたし 老いて出会う、いのち』より 東方出版

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森崎和江さんの老境の書だ。

徳さん、例によって、言うことはございません。
ただ読んで感服するだけだ。

幼少期の感性はやがて現実の前に毟り取られる。
それが当たり前のように思わされてきた。
それが成長ということ、大人になることといって。

森崎さんは、日本の植民地下の朝鮮で幼い感性を育てられた。
しかし、その感性が日本に帰国してからことごとく踏みにじられた。
日本では個が個でないよ。女が女でないよ、、、。

幼い頃の感受性を核として、日本社会のあり方を地道に問われて半世紀。

森崎さん、見事に老いていらっしゃる。