山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

鞍馬から貴船へ 4

2017年01月30日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2016年11月18日(金)叡山電車で鞍馬へ、義経ゆかりの場所を巡って紅葉の貴船神社へ。

 貴船神社の境内図と歴史  



鞍馬寺の西門を出ると、紅い「奥ノ院橋」が貴船川に架かっている。橋を渡ると、もうそこは貴船神社の門前町です。人通りが急に増えてくる。やはり貴船神社は「恋の神社」と云われるだけあって人気があるようです。
貴船神社は、手前から本宮、中宮、奥宮と三神域から成っている。それぞれ数百m離れているが、それをつなぐ道は貴船川の清流に沿い、紅葉や青葉に覆われ、またお茶屋や川床が並び退屈させない。

貴船神社の始まりについて、神社のサイトには諸説あると断りながらも
「第18代反正天皇の御代(約1600年前)、初代神武天皇の皇母・玉依姫命が御出現になり「吾は皇母玉依姫命なり。恒に雨風を司り以て国を潤し土を養う。また黎民の諸願には福運を蒙らしむ。よって吾が船の止まる処に祠を造るべし」と宣り給い、「雨風の国潤養土の徳を尊び、その源を求めて黄船に乗り、浪花の津(現在の大阪湾)から淀川、鴨川をさかのぼり、その源流である貴船川の上流のこの地(現在の奥宮の地)に至り、清水の湧き出づる霊境吹井を認め、一宇の祠を建てて水神を奉斎す」とあり、”黄船の宮”と崇められることになったと伝えられている。」とある。
神武天皇の母・玉依姫命が黄色い船に乗って淀川、鴨川を遡り、現在の奥宮の地に祠を建て水神を祀ったのが貴船神社の始まり、ということです。白鳳6年(666)、社殿の立替えの記録が残っていることから、かなり古くからあったようです。

平安時代には、水の供給を司る神を祀っていたことから、天皇の勅使が雨乞いや雨止みの祈願に訪れている。
永承元年(1046年)7月、洪水により社殿が流失したことから、天喜3年(1055)4月、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座して、元の鎮座地は奥宮とした。「当社は長らく賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされてきたが、これは天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説がある。近世以降、それを不服として訴えが続けられ、明治以降になってようやく独立の神社となった。江戸時代までは賀茂別雷神社の祭神である賀茂別雷命も祭神としていた」(Wikipediaより)

社名の「貴船」の由来について、境内の由緒書きに「古くは「貴布禰」と記したが、「黄船」「木船」「木生嶺」「気生根」などの表記も見られる。明治4年(1871)官幣中社となり、以後「貴船」の表記で統一された」とある。また読み方については、公式サイトに「地名として「貴船」を「きぶね」と発音するのが一般的だが、神社名を公式に申し上げる際には、湧き出している御神水がいつまでも濁らないようにと祈りをこめて「きふねじんじゃ」と申し上げるのである」と書かれています。

 貴船神社:本宮  

本宮入口の鳥居が見えてきた。この鳥居は「二の鳥居」で、「一の鳥居」は叡山電鉄の貴船口駅近くにあり、かなり離れている。本宮に寄らず、中宮・奥宮へ向かうには、右の車道を進めばよい。

鳥居を潜ると、貴船神社の紹介には必ずでてくる参道の階段です。最も神社らしく感じる場所。
現在の本宮は、天喜3年(1055)に、現在の奥宮より移転されたもの。元々の貴船神社は、現在の奥宮にあったが、度々の洪水で流されたため移されたそうです。全国に約450社ある貴船神社の総本社。境内は年中、自由に参拝できる。6月1日は「貴船祭」

参道石段を登り門を潜ると境内。本宮の境内は広くありません。門のすぐ左手に樹齢400年、樹高約30mの御神木の桂の木がある。根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。貴船は「気生根」とも書かれるが、この桂の木は「御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て」いるので御神木とされたという。
御神木・桂の木の並びに、小さな「石庭」があります。作庭家・重森三玲が昭和40年に、古代人の神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして作庭したものだそうです。玉依姫命による「黄船」伝説から、庭全体が船の形に造られ、中は黄色い土が敷きつめられている。
貴船神社は縁結び・恋の神社として有名ですが、御神木や船が多いのも特色です。
写真中央が本殿で、右が権殿、左が拝殿。流れ造り・銅板葺きの本殿は平成17年に造営し一新された建物。
ご祭神は「高おかみの神(たかおかみのかみ)」で、古くから水を司る神様として崇められてきた。

本殿前に黒馬・白馬の銅像が建ち、傍に「絵馬発祥の社(えまのふるさと)」の説明板が立っている。それによると、平安時代、雨乞い・雨止みの御祈願のため歴代天皇が勅使を遣わされれる際、雨乞のときは「黒馬」を、長雨を止めてほしいときは「白馬」又は「赤馬」を献上して祈願していたとされています。それがいつからか、生馬に変えて板に馬の絵を描いた「板立馬」を奉納するようになった。この「板立馬」が現在の絵馬の原形だそうです。だから貴船神社は絵馬発祥の地になる。

貴船神社で有名な「水占(みずうら)みくじ」。貴船神社は、水の神様と縁結びの神様が同居している。水占いとはよく考えられたものです。いつ頃から始まったのでしょう?。水占みくじの場所は拝殿前にあり、「水占斎庭」と呼ばれている。狭い御神水なので混雑しています。

占い紙は横の社務所で、1枚200円で売っている。紙は積み重ねられているが、占いなので上から順に取るのではなく、好きな位置から紙を引く。透かして見たが、さすがに文字はみえません。紙をそっと水に浮かべ、文字の浮き出てくるのを待ちます。

おじさん一人で水占いとは・・・、少々照れるがここは社会体験と挑戦してみました。私は、何気なく一番上の紙を取ってしまったのですが。10秒位で文字が浮き出てきました。「吉」で、占いの内容はまずまず。色恋沙汰をしてみたいのですが・・・。
占い紙の中ほど左右にQRコードがあります。このQRコードをスマホで読み込み、言語(五カ国)を選択すると翻訳され音声まで聴こえるそうだ。デジタルの時代はここまで来たか。

本宮は狭い境内なので、水占みくじをしなければ、あっという間に見終わってしまう。時間があったので、祈雨の行事が行われていた「雨乞の滝」へ寄ってみようとしたが入口が分らない。社務所で訊ねると、現在、禁足地になっており行くことはできない、そうです。
本宮前の貴船川沿いも紅葉の綺麗な所。写真右上の建物は、本宮の休憩所なので、お茶を楽しみながら紅葉を鑑賞できます。

 貴船神社:奥宮へ  


本宮を出て、紅葉を愛でながら貴船川に添って上流へ歩く。おじさん一人でも、十分楽しい気分になります。道沿いには料理屋、お茶屋さんが並び、京の奥座敷の雰囲気を感じさせてくれます。

中宮(結社)入口の階段だ見えてきました。次は中宮(結社)に寄りたいのだが、貴船神社には参拝順のルールがある。「三社詣」と呼ばれ、「本宮」→「奥宮」→「中宮」の順で参拝するのが、縁結びのための古くからの習わしだそうです。私も従わないわけにはいかない(^^)。
ちょうど昼過ぎ、お食事処「ひろ文」さんがあるので、昼食にします。

貴船川は貴船山と鞍馬山の谷間を流れ、賀茂川へつながる。この川沿いは大変風光明媚で、京の奥座敷といわれるだけあります。夏は川床で涼を感じ、秋は紅葉で魅了される。ライトアップされるんでしょうか、川沿いには照明器具が見えます。

川沿いを進むと奥宮の紅い鳥居が見えてきました。奥宮は本宮から700mほど奥になる。この辺りは、本宮や中宮付近にあった旅館やお茶屋、川床などなく、神域の気配が強く感じられる。
この奥宮は貴船神社創建の地で、元々本宮があったところ。度々の洪水で損壊され、天喜3年(1055)に現在の本宮の地に社殿を再建・遷座し、ここは奥宮となった。水の神様も、時には自虐的に暴れるんだ。
写真左側に、注連縄の張られた大木がある。「相生(あいおい)の杉」と呼ばれ、説明板には「御神木。同じ根から生えた二本の杉。樹齢千年。相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味」とあります。

紅い鳥居の先に、小さな紅い橋が架けられている。橋には「思い川」「おもいかは橋」と書かれている。川を覗いてみるが、ほとんど水は流れていない。
ここが本宮だった頃、この小川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝していた。だから「みそぎの川」、「御物忌川(おものいみがわ)」だった。ところがここを訪れた和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「おものいみ川」が「思ひ川」と呼ばれるようになったという。

薄暗い杉並木と白い砂利の参道が続く。奥宮までくると訪れる人も少ない。本宮のような華やいだ雰囲気はなく、「気」に満ちた厳粛な雰囲気が漂う。参道奥の朱塗りの神門をくぐると、奥宮の境内です。

神門を潜ると、すぐ左側に御神木の「連理(れんり)の杉」がそびえる。杉(左)と楓(右)が一つにくっついた珍しい木で、夫婦和合・男女の仲睦まじいことの象徴として、御神木にされている。

 貴船神社:奥宮(本殿・拝殿・船形石)  



中央の能舞台のように見えるのが拝殿。左の本殿に祀られている奥宮のご祭神は 「闇おかみの神(くらおかみのかみ)」。この神は、本宮の「高おかみの神」とは「呼び名が違っても同じ神なり。一説には、高おかみは「山上の龍神」、闇おかみは「谷底暗闇の龍神」といわれる同じ龍神」(公式サイトより)で、水を司る神様。

「本殿の真下には「龍穴」と呼ばれる大きな穴があいており、誰も見ることは許されていない。この龍穴は大和の室生龍穴、岡山備前の龍穴とともに日本三大龍穴のひとつとされている」(公式サイトより)。この龍穴に物を落とすと、にわかに曇り空になり龍穴から激しく風が吹き上がるという言い伝えがある。
本殿の前の建物は拝殿ですが、見ようによっては能舞台に見えます。
貴船神社・奥宮は「丑の刻参り」ゆかりの場所としても知られている。「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に、貴船の神様が牛鬼を従者にして降臨した」という故事に基づくもので、本来の「丑の刻参り」は心願成就、つまりあらゆる願い事をかなえるためのものでした。ところがいつの頃からか、「丑の刻参り」は「呪いの藁人形のまじない」というように一般に広まっていった。

Wikipediaは「丑の刻参り」について「丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種。典型では、嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭にかぶった姿でおこなうものである。連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。ゆかりの場所としては京都府の貴船神社が有名」と説明している。

貴船神社にとっては迷惑なことですね。謡曲「鉄輪(かなわ)」などの影響でしょうか?。ちなみに謡曲「鉄輪」は「室町時代の謡曲の題名。「かなわ」と訓む。あらすじは後妻を娶った男を先妻が恨み、貴船神社に詣でたところ「赤い布を裁ち切り身にまとい、 顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ろうそくを灯せば鬼となる」とお告げを受ける。男は悪夢に悩み安倍晴明の元を訪れ鬼となった先妻と対決して鬼は消え失せる、というもの。」(Wikipediaより)
本殿横に注連縄で囲われた小さな空き地があり、中央に「権地」(ごんち)と書かれた札が立っています。
本殿真下には「誰も見てはならぬとされる神聖な龍穴」があり、そのため本殿をその位置で解体修理できない。そこで横の「権地」まで移動し、解体修理後に元の位置まで戻すのです。一種の「遷宮」で、貴船神社では「附曳神事(ふびきしんじ)」と呼んでいる。

平成23年(2011)12月29日、奥宮の本殿修復のため150年ぶりに「附曳神事」が行われた。龍穴は、絶対に誰にも見られてはいけない。そのため本殿の西に手広い菰(こも)を結び付け、本殿を権地へ曳き移すにつれ菰も引っ張られ龍穴を覆い、誰ににも見えない。さらに絶対に守らなければならないこととして「境内にいるすべての人間は声を出してはいけない」ということがある。そのため神職をはじめ宮大工、氏子、一般参加者も神の葉(榊・さかき)を口にくわえ、無言で少しずつ静かに動かしていったそうです。修理完成した翌年5月31日、元の場所に同じような方法で曳き戻された。


本殿左横に、貴船神社創建伝説の玉依姫命が乗って来たという「船形石」(ふながたいし)がある。その黄色い船が人目に触れぬように小石に覆われ囲われたものと伝えられている。船舶関係者から「船玉神」として信仰されていて、小石を持ち帰ると航海安全の御利益があるそうです。



 貴船神社:中宮(結社(ゆいのやしろ))  



13時15分、奥宮を出て貴船神社の参拝順ルールに従い、一番最後に中宮に寄ります。本宮と奥宮の中間にあるため中宮 (なかみや)と呼ばれる。本宮から上流へ300m、奥宮から下流へ400m位。
中宮の社に祀られている御祭神は「磐長姫命 (いわながひめのみこと)」。
磐長姫命の御鎮座に関して、貴船神社のサイトには以下のような伝承があることを紹介している。

昔、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が木花開耶姫(このはなさくやひめ)に一目ぼれし、姫の父・大山祇命(おおやまつみのみこと)に結婚したいことを申し上げる。大山祇命は姉の磐長姫も添えて、二人の娘を送り出した。容姿端麗な木花開耶姫に対して、姉の磐長姫はたいへん醜かったため、瓊々杵尊は木花開耶姫だけを娶り、磐長姫を送り返した。そのため磐長姫は大いに恥じて「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」といわれて、この地に鎮まったという。
中宮は「結社(ゆいのやしろ)」とも呼ばれ、貴船神社は「縁結びの神様」として知られるようになった。平安時代には既に「縁結び」の神社として、貴族から庶民に至るまで参拝されるようになったという。

平安時代の女流歌人・和泉式部も、夫・藤原保昌との不仲を憂い、貴船神社にお詣りした。その甲斐あって縁が戻ったそうです。その時の心情を詠った和泉式部の歌碑が建っている。
現在でも縁結びを願う人が多いいのでしょうか、結び処には沢山の「結び文(むすびぶみ)」が結ばれ、奉納されています。以前は、境内のススキを結んでいたようですが、植物保護のため止められた。私は、縁結びとは縁無くなった歳なので、結ばなかった。






本宮には船形をした石庭、奥宮には船形石があった。ここ中宮にも「天の磐船(あめのいわふね)」がある。貴船神社の創建伝説が、神武天皇の母・玉依姫命が黄色い船に乗ってやって来たというものなので、貴船神社と「船」との関わりは深い。
苔むした舟形の大石が置かれている。平成8年(1996)京都の造園家・久保篤三氏により、結社の御祭神・磐長姫命の御料船として奉納された。長さ約3m、重さ6トンの船の形をした自然石で、貴船の山奥で見つけられたものという。

狭い境内なので、あっという間に見終わってしまう。出口の階段を下りると、昼食にカレーうどんを食べた「ひろ文」さん。恋とか、縁とかよりもこの景観ですね。気分が和みます。

帰路に着くため叡山電鉄・貴船駅へ向かいます。鞍馬と貴船は一日で周れる範囲。男性的で武骨な鞍馬を先に訪れ汗をかき、それから女性的な貴船に下りて寛ぐというのがベストだと思う。逆に貴船で寛いだ後、鞍馬へ向かうのは大変です。あの急峻な山道を俺は登りたくない・・・。


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