今朝は青空が広がり朝焼けがとても爽やかだった。
昼間は知人宅の畑の草取りを手伝ったが、汗がしたたり落ちるほどの暑さになった。
帰りに木曽三川公園にある船頭平閘門を訪れた。
国の重要文化財の船頭平閘門は、明治時代の河川工事により木曽三川
(木曽川、長良川、揖斐川)の分流工事で船の行き来が可能になった。
↑木曽川と長良川を結ぶ水路の上方は長良川
↑水路の先は木曽川
木曽川の下流はゆったりと流れ、まるで海のように広い。
↑水路の船溜まり
水路ではのんびりと釣りを楽しむ人も多い。
↑往時の閘門風景
↑明治の閘門ゲート
屋内には明治時代に使われたゲートや関連資料が展示されている。
ゲートはお城の大手門のように堅牢で重厚だった。
閘門は現在も機能しており、水面の高低差がある木曽川と長良川の水運を
可能にした土木技術は、歴史的にも貴重なものと評価されている。
珍しい閘門の筏の写真見せて頂きました。
それにつけても思い出されるのは・・・
宝暦年間幕府の命で木曾三川の治水工事を薩摩藩が担いました。
杉本苑子の「孤愁の岸」でその悲劇をよみました。
遠く鹿児島から来た藩士の悲劇が書いてあります。
地元の人たちによって今も、藩士を弔っているそうです。
機械化により整備された河川でさえ、川の氾濫など水害が起きています。
「治水治国」と言われるように水の力は偉大ですね。
宝暦治水事件で薩摩藩士50数名が自害し、
何人かが病没したと言われています。
工事に携わった薩摩義士を称える遺跡を
訪ねるつもりです。
輪中も多く残り、水の恵みと戦いが繰り
返された地区ですね。