京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

東福寺塔頭 正覚庵の紅葉

2020年12月18日 08時36分00秒 | 日記
 11月27日はJR東海「そうだ 京都、行こう。」のイベントで東福寺塔頭の正覚庵と光明院を訪ねました。

先ずは正覚庵からです。



通常非公開のお寺で毎年の11月23日の「筆供養」の日のみ公開されます。





中国隋の時代に智永禅師と言う能筆の僧が自らが使い古した筆の筆頭を塚に納め供養したのが筆塚の始まりとされています。
正覚庵の筆塚は江戸時代に建立され、また、天神さまをお祀りしている(威徳堂)ことから昭和23年に筆供養を始められ今日に至っています。

この日はご住職平住智潤さまから説明があり、以前にも拝観していますが新鮮な気持ちで聞かせて頂きました。



先ずは書院でご住職から正覚庵の由緒や筆供養の事、そして最近注目されている本堂のお話をお聞きしました。

書院の襖絵は日本画家の山本隆さんが描かれ、三室にはそれぞれテーマがあり
「人」の部屋 梅の木を眺める老夫婦
「地」の部屋 りんごや柿とナスにみかん
「天」の部屋 かわいい子供の姿の風神雷神
(内部は撮影禁止なので写真はありません。)

禅寺にある"堅い"感じの水墨画ではなく、何か見る人の心を和ませる水墨画で見ていて"ほのぼの"とします。

次に茶室です。







茶室は綿花貿易で財を成した白州文平(白州次郎の父)の兵庫県伊丹市にあった白州屋敷の玄関だったそうです。
文平は建築道楽と言われるだけに千家などの伝統的な茶室にこだわる事なく独自の贅と粋を凝らした造りになっています。

階段を上がり高台にある正覚庵の本堂です。











ご覧のように非常に凝った造りです。折上げ格天井の一部には屋久杉の一枚板が使われていたり、欄間や天井の意匠が部屋ごとに異なっています。






内部も凝った造りですね。


"戦後、最もかっこいい男"と言われた白州次郎もイギリス留学から帰国し、正子と結婚するまでの間住んでいた住宅です。
次郎は戦後首相になった吉田茂の通訳や秘書として外交にも活躍した人物です。
後に樺山正子さんと結婚します。




正覚庵の建物と庭園です。丁度紅葉が盛りで美しい庭園を堪能しました。









また、正覚庵では樹木葬"法州苑(ほうしゅうえん)を営んでおられます。時代の流れでしょうか?檀家さんからの声を反映して造られたようです。



「威徳堂」の御朱印を授与して頂き、次に光明院へと向かいます。

















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