続いて、京田辺市にある壽法寺を尋ねます。文武帝の御代慶雲元年(704)創建と伝わります。
収蔵庫には、ご本尊 十一面千手千眼観世音菩薩立像がお祀りされています。頭上に十一面をいただき、左右にはそれぞれ五百の手を持ち、持ち物のない手のひらには墨で目が書かれています。
実際に千の手を持たれた観音像は珍しく、大阪藤井寺にある葛井寺と奈良唐招提寺の観音さまの3体しか存在しません。
また、こちらの観音さまは昼と夜とで全くと言ったよいほどに表情を変えられます。お寺の方が昼光色の時と収蔵庫の扉を閉めた時の観音さまの表情の変化を見せて頂きました。
上の写真が昼間の観音さま。
下の写真が夜間の観音さまです。
(お寺で販売している絵はがきからの掲載です。)
かって、白州正子さんが尋ねて来られた際には、寺の前に広がっていた池に映る月の明かりで鑑賞されたそうです。さぞ幻想的に見えたことでしょう。
脇侍には、降三世明王、金剛夜叉明王が、また、お厨子の中には聖徳太子16歳の時の孝養像がお祀りされていました。
収蔵庫には、ご本尊 十一面千手千眼観世音菩薩立像がお祀りされています。頭上に十一面をいただき、左右にはそれぞれ五百の手を持ち、持ち物のない手のひらには墨で目が書かれています。
実際に千の手を持たれた観音像は珍しく、大阪藤井寺にある葛井寺と奈良唐招提寺の観音さまの3体しか存在しません。
また、こちらの観音さまは昼と夜とで全くと言ったよいほどに表情を変えられます。お寺の方が昼光色の時と収蔵庫の扉を閉めた時の観音さまの表情の変化を見せて頂きました。
上の写真が昼間の観音さま。
下の写真が夜間の観音さまです。
(お寺で販売している絵はがきからの掲載です。)
かって、白州正子さんが尋ねて来られた際には、寺の前に広がっていた池に映る月の明かりで鑑賞されたそうです。さぞ幻想的に見えたことでしょう。
脇侍には、降三世明王、金剛夜叉明王が、また、お厨子の中には聖徳太子16歳の時の孝養像がお祀りされていました。
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