熊野若王子神社は永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を永観堂禅林寺の守護神として勧請し祈願所としての正東山若王子の鎮守でした。
しかし、明治政府の神仏分離令によりお寺は廃寺となりこちらだけが残りました。
以前から、熊野、かって極楽浄土の地と考えられ法皇、上皇から一般庶民まで老若男女を問わず熊野を目指しました。
熊野の地は先祖の霊がこもる黄泉(よみ)の国と考えられ、その鬱蒼とした森林があの世を連想させ浄土信仰が生まれたのでしょう。
法皇、上皇による熊野詣は延喜7年(907)から弘安4年(1281)の間に、実に100回以上にのぼり、中でも後白河法皇は34回もの熊野御幸をされています。
境内の梛(なぎ)の木は、樹齢400年といい、熊野詣に向かう人たちの禊に使われました。
また、鳥居前の石橋は、明暦2年(1656)に高家筆頭だった吉良家から寄進されたものです。
背景の若王子山の中腹には同志社大学の創始者新島襄・八重夫妻が眠っています。
最後に御朱印を授与して頂きました。
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