来迎院から三千院、勝林院の前を通り宝泉院へと来ました。
宝泉院も先程の来迎院と同様、慈覚大師円仁により開かれた寺院です。
近年に作庭された庭園(宝楽園)です。
その後、良忍上人が声明を広げ大原の地は法要儀式に用いる仏教音楽「声明の里」として有名になりました。
また、宝泉院は平安時代末期から勝林院の住職の坊(住居)となって来ました。
客殿の西側には「額縁庭園(盤桓園)」が広がり、近くには赤松の五葉松が、遠くには大原の里や山々が遠望できます。
こちら宝泉院ではお抹茶とお菓子とが付いていて、ゆったりとした気分でお庭を眺める事が出来ます。
縁側の天井は「血天井」になっています。
慶長5年の"関ヶ原の戦い"の前哨戦で、豊臣側が鳥居元忠以下数百人が守る伏見城を攻め落とした際、自害した武将たちの血痕が残った床板を天井に上げ供養したものです。
次に大原のさらに奥にあり、公共交通機関では行きにくい"古知谷阿弥陀寺"へと向かいます。