京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

【どぼく】②工学博士と東海道中膝栗毛

2022年10月12日 07時14分00秒 | 日記
 府道143号線を右に外れると旧東海道です。







江戸時代の主要街道であった東海道ですが、慶応3年(1867)に現在の三条通に付け替えられました。






粟田口名号跡

日ノ岡峠を改修した木食正禅は刑場で亡くなっています。
罪人の魂を供養する為に江戸時代1717年に建立された碑です。

遺棄されていた碑を昭和8年(1933)の京津国道改修に伴い移設された碑です。





京津国道改良記念碑

江戸時代の東海道と重なる三条通は、日本で国道が制定された明治18年(1885)に国道2号線に指定されました。
その後、昭和8年(1933)に大規模な改修工事が行われました。









日ノ岡11号橋

明治36年(1903)建設の日本最初の鉄筋コンクリート橋です。

建設時は国産セメントの試験用で、ほとんど忘れられた存在でしたが、昭和5年(1930)の疏水決壊修復工事の中で田邊朔郎がこの橋の由来を話し、昭和7年(1932)に「本邦最初鉄筋混擬土橋」が建立されました。





南側には昭和4年(1929)建設、鉄筋コンクリート造の栗原邸があります。設計は建築家・本野精吾。
現在は2億円で売りに出されています。





疏水第二トンネル西口扁額

第三代京都市長を務めた西郷従道「過雨看松色」(時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑を見ることができる)








山の谷橋

明治37年(1929)建設の日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋です。橋脚には技師の名前が刻まれています。







地下鉄東西線御陵駅の地上にある「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」の石碑です。

今回、高橋先生の解説を聞きながら旧東海道を巡り、普段は目に付かない小さな石碑や痕跡が多数存在するのを知り大いに勉強になりました。