部活動顧問の任命
新年度の校内人事だが、3月25日とか26日に確定する。
部活動の顧問はその時点で、ペーパーとして確認される。
もちろん、その前から希望をとる。希望だ。あくまで希望だ。
それと同時に打診が行われる。ここがポイントだ。
「やってくれない?」
というニュアンスがとてもその感度を表現してくれる。
もっと丁寧に言え!(笑)といわれれば(通常言わないが、いやここが大事!「言わせないが!」)こう答えるのだ。
「やっていただけませんか?」
しかし、ここで見事なすり替えが、それもごくごく自然に進行する。そう!
「やれ!」
多くの人は、よほどの理由がない限りここで、その声を「命令」と理解する。勝手に。
あとはヤクザまがいの押しで、寄り切りだ。
命令された人間は一人、悶々と悩んだりする。
ある人間は、仕事と錯覚し、上司の覚えを良くしようとする。
ある人間は、進んで仕事と考える。
ここで、ある前提が消去される。それは、私が再三指摘していること
「好きでやっている」
という事態だ。
仕事でないことを好きでやっている、つまり、趣味なのだ。部活動は趣味だという前提。
この事態が消されるのだ。
勤務時間の消滅
そして、もう一つ大事な消去事項がある。
それは、勤務時間だ。
8時15分から16時45分
これが消える。ちょっとましな思考の持ち主には、ここから
「残業」
という概念が浮上する。
私はこの時点でダメだな、と観念してしまう。ダメなんだ。ここが崩れる限り部活動の問題は問題として成立しない。
私はこの時点で敗北を認め、以後、個人レベルでうごくことしかできなかった。
部活動が仕事ではないという時点で踏ん張れない!すると、もうあとは、ズルズルべったりなのだ。
勤務時間も消える。
仮に、まあ、部活動が勤務時間内で仕事だとするか。
だったら、管理職に言うんだよ。
「16時45分以降は帰ります。あんたやれや」
これで終われるのだ。残業はね、法で決められているんだよ。そのなかに部活動ははいっていないんだ!と。
しかし、現実は、この線が消失している。何モノかによって消失させられている。
だから、いくら外野で部活動は残業だと、訴訟しようが、騒ごうが現場はそんな理屈で動いていない。
そんな理屈は消失させられている。
次はその消失させるモノの正体をお見せできればと思う。