高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

部活動は仕事ではない 1 やめちまえ

2022-09-10 09:41:51 | 部活動

 

やめちまえ!

 

その昔、「俺たちの旅」というドラマがあったのさ。

主演は中村雅俊で津村浩介っていうんだが、まあ、自由奔放に生きているんだよ。その日その日楽しければいい、と。

友だちの田中健はオメダって呼ばれているんだが、好きでもない不動産会社で毎日悩んでしごとしているのだ。

で、浩介(中村)はいうんだよ、「やめちまえ、やめちまえ、好きでやってるんじゃないんだろ?だったら、やめちまえ」

オメダ(田中)は怒るのさ、そんなこといっていたら、定職に就けないだろ!って。がまんして、・・・

でも、刺さり続けるんだよ。浩介の言葉が、俺は好きでやっているんだろうか?って。

ここに、自己責任という言葉の重さがあるように思う。日本社会はそこが極めて希薄なのだ。

俺は自らの責任で選び取って、この仕事をしているのだろうか?

日本社会の自我は、自己責任を負うにはあまりに弱すぎるのだ。

みんな、だの、世間だの、職員室だのという世界の醸し出す空気!これに押しつぶされてゆくのだ。

 

仕事じゃないんだ、やめちまえ!好きでやってるんじゃないんだろう?

 

部活動は仕事ではない。

学校の外の人間にはこの事態が見えない。

では、内部の人間には見えるか?

答えは簡単。

「見えない」

ここがポイントだ。

部活動が仕事でない、ということを見ることは大変なことなのだ。

ここを理解しないと部活動の謎は解けない。

内田良という学者が代表だが、ブラック部活などとこの問題に挑んでいる。

しかし、僕から見ると、内田がかえって事態を見にくくしてしまっているとさえ見える。

そのくらい、厄介なのだ。

もう一度問う。

部活動は仕事ではない。しかし、仕事なのだ。これは何なんだろうか。

まず、この謎の意味が分からないと思う。説明しよう。

まず、外見上からいく。

学校には、学年、教科、分掌(教務課とか、生徒課・・・)がある。それぞれ、法的にも規定されたお仕事だ。よって、会議もある。

しかし、部活動は一切ない。

部活動の公的会議など存在しない。

辞令もない。任命されないんだよ。

もう一つ。教員評価だ。教員は管理職に勤務評価されている。

それは、「分掌」「教科」「学年」だ。それだけだ。

部活動はない。

勤務評価の対象ではないんだよ。部活動は。

特記事項で自分はこんなことをやったと、書きたければ書いてみな、という欄がある。

そこに書くだけだ。

要は教員評価として全教員に対象として要求していることでは、部活動はないってことだ。

これだけでたくさんだろう。部活動は仕事ではないのだ。

いやなら、断ればいいじゃないか。

かんたんだ、イヤだっていえばいいんだ。

私は最後の教員生活18年間、これに気づいて、管理職に名前を部活動の欄に入れさせなかった。

断ればいいのだよ。それだけ。

つまりだ!多くの人たちは好きでやっているのだよ。

断れば絶対に命令はできない!仕事じゃないから。

ところが、現実は、絶対に断れないのだ。ここに、部活動というものの謎のすべてがある。



↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑   
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いじめの対象は「ソト」の人... | トップ | 部活動は仕事ではない 2 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

部活動」カテゴリの最新記事