「君はどこに住んでいるの?」
「三島市の**町です」
「あ、そう。で、何を買いたいんだっけ?」
「鮭のおにぎりです」
「あ、それじゃあ、コンビニだね。じゃあ、君セブンイレブンの**で買い物をすること」
っていわれたら、どうですか。
「よかった。セブンイレブンで!」
って思いますか(笑)。
この感想に違和感がない人は、そうとうイカれてるって(笑)思った方がいいですよ。
「何でそんなことを指示されなければいけないのか?」
と私は思ってもらいたいと思いますけど。
私の勤務する単位制高校は、君たちにあった科目を選択しよう、という画期的なシステムを導入している学校です。ところが、そのなかで、ひっそりと体育がこういう商売をさせてもらっているのです。それは、
「君は体育Ⅰの単位がほしいのか」
「君は?体育Ⅱ」
「じゃあ、この講座をとりたまえ」
と体育の科目が時間割に割り振られているのです。生徒は時間を選択できます。しかし、よくみると最初の奇妙な現象がここにあるのです。
体育の科目は「体育Ⅰ」から「体育Ⅳ」まで本校の時間割にあります。あと、「保健」です。ところが、これらすべては、「必履修」つまり、全員とらなければいけないのです。教員の名前が時間割には入っていません。ということは、時間だけは選択できますが、体育はすべてとらなければいけない科目なのです。
つまり、体育の授業については、「失業」も「倒産」もないのです。かならず、全生徒がとらなければいけないからです。
さらに学年制の学校に目を転じましょう。普通の学校は学年制です。この学年制の学校には、体育の時間は指定されて、しかも、担当者も指定されています。
そうです。生徒は、時間も内容も選択できません。
「体育Ⅰだね、はい、じゃ君は、この時間のこの担当者をとること」
そうです。ここに、最初のコンビニのいかにもばかげた想定が出現するのです。
購買者は、購買するものも、購買する店も、店員も、選べません。ということは、供給がわからしてみるとこうです。絶対に、売れないということがないのです。
これでまともな商売をしたいと考える人ってどういう人なの?
多様な価値を刻みだそうと考える人ってどういう人なの?
「先生、おしえてください!」
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
よろしかったら、上のバナーをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます