高校公民Blog

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なぜ、学力が低い生徒は学校選択ができないのか?

2007-02-07 23:43:06 | 政治分野の授業

居住・移転・職業選択の自由その学校版

 経済活動の自由として私たちは「居住・移転・職業選択の自由」を教科書で学びます。憲法は国家に向かって国民の経済活動の自由を保障せよ、と命じているわけです。ま、しかし、私たち高校生にとって、もちろん、経済活動を生業(なりわい)の中心としているわけではないので、私は授業では翻訳して、こう説明しています。
 高校生にとって、国家の一部である学校に向けて憲法が経済活動の自由を保障せよと書いているが、それは、いいかえると、学校選択の自由、とりわけみなさんのばあいは、高校進学のさいの学校種選択をふくめた学校選択の自由と考えていいのではないだろうか。また、学校へと入学して以降でいえば、教科選択の自由をどれだけ保障するかということではないだろうか、とこのように私はみなさんに提示しているのです。

なぜか、学力の低い中学生は学校を選ぶことができない

 地域にはかならず「バカ高校」と誰もが思い、しかし、だれもそのことを口にしないという暗黙の了解の低学力校があります。大体、服装が崩れていたり、いかにもイヤイヤこの高校へと入ったのだ、といわんばかりの登下校風景をみるわけです。
 私の勤務する高校でもみなさんにきくとね、必ずしも第一志望校ではなかった、と正直に白状する人がいるわけです。
 で、このようにいうことは一応可能なのです。

「なぜか、学力の低い中学生は学校を選ぶことができない」

みなさんにお尋ねするけど、いい高校と呼ばれる有名進学校はそうあるわけではありませんよねえ。ひどい場合は地域に一校ってところでしょ?それはいいかえれば、いい高校って選べないとはいえないでしょうか?いくつもいい学校がある。その中から選ぶ、そういう贅沢をこといい学校についてはいえない。
あなたはね、中華料理だけがおいしい料理ですか?そうじゃないでしょ?フランス料理もそれはそれでおいしいわけだし、和食だっておいしいわけでしょ?ところが、いい高校って選べないんですよ、そんなに言うほど。これってちがうかしら。
 それに比べればですよ、よくない、というと語弊があるけど、ま、超進学校ではない学校は多いはずでしょ?そういう意味では超エリートではない生徒の数も、それに対応した高校の数も本来多いわけではないですか。だったら、選べるはずでしょ?少なくとも超エリート校にはない数の中から選択するという、超エリートの生徒にはできない贅沢ができるはずではないですか?
 でもそれは、もちろん、たんなる理屈の上でのことで実際は、学力が低くなればなるほど生徒さんは学校を選べない、仕方なしに、イヤイヤ学校へ入学する率が高くなるわけです。それってどういうことなんでしょうねえ。何で、超エリートの高校生の数からしたら圧倒的に多くの人間に向けて設定されており、多くの学校が数の上では存在しているにもかかわらず、学力が低くなればなるほど生徒さんたちは学校を選べなくなるのでしょうか?どうして「おめえはバカだから、バカ学校へしかいけねえ」といわれ、本人たちもまったく選べないという事態が起きてしうまうのでしょうか?
 経済活動の自由は一般論として今はやりの言葉で言えば「勝組」に有利になり勝ちといわれる人権です。機会の平等が失われていく元凶ともみられるわけです。そして、現実問題として、低学力の人間は選んだという実感がもてないのではないでしょうか?ここをどう考えるか、ということなんですね。

草食動物

僕はだから、こういう仮定をしてみればいいと思っているんですね。

「そんなに入りたければ全員希望者をいれちまえ」

そうすると、眉間に皺を寄せる人たちがでてくるわけです。何がなんでも、定員は少ないほうがいいのです。

「入りたい学校へ入れなかったという人は、じゃあ、合格できればいいの?」

こう問うときに、日本社会の、それも学校社会の本質が見えてくるのです。そうです。学校へと進学する動機がたんに差異をつける、順番をつけるだけのいみしかもっていないということです。そして、高校の設置者もそれ以外はかんがえていないということです。その意味でしか、学校はないのです。単に、中学生を輪っかに切る作業、それが高校進学の意味なのです。だから、現在、国家は全国の中学生に対して、選択の自由を提供などしていないとはいえないでしょうか?
農業やりたくて農業高校へ行くのでも、工業したくて工業高校へといくのではありません。そうです。みなさんは草しか食わない草食動物なんです。だから、さまざまな成功物語もないし、成功物語を保障する教育システムもないんです。商業高校でもじきに進学者がどうのこうの、というような、商業高校の甲斐のないことをはじめたがるのです。

エリート高校を選択した人たちは本当に選択したのか

これが怪しいと僕は思っているのです。


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1 コメント

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学歴社会(輪切り・選別) (ザ・中学教師)
2007-02-10 12:57:21
> 「なぜか、学力の低い中学生は学校を選ぶことができない」
ここから何がみえてくるかという視点は説得力がある。

しかし、「全入」には、現実的な難問がある。
荒れた学校に共通する「器物破損(損壊)」の補修費の問題だ。ばかにはならない。
ガラスをわったり、壁を突き破ったり、天井をぶち抜いたり、スピ-カ-をぶっ壊すなんてことは、日常茶飯事。
学校にあって環境を破壊したがるのは、なぜか、学力の低い(学習意欲のない)中学生に多い。

どこから、ゼニがでるのか。

そして、義務教育の存在そのものの意義として、
義務教育9カ年終了するにあたって、生徒自らが学校で獲得したモノとは、
「オマエとオレでどちらがケンカが強いか」
「オマエとオレでどちらがえらい(成績のこと)か」
この2点だけでは、洒落にならない。

こんなのどうですか、
「なぜか、学力の低い中学生でも高校へいきたがる。」

それは、「みんながそうするから」であり、
「同じ学年の子といっしょにいたい」からなんです。

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