まづはお袋から話を始める。
兎に角無頓着。食に関しては、同じ物を出し続ける。
家庭の事情もあったと思うがトラウマになっている。
しかし今になってみると同じもの続けても気にならない。
素質はしっかり受け継いでいる。
話はちょっとだけ親父に近づいてくる。
1.鶏
家で鶏を飼っていて、生卵は常食。
卵うまなくなった鶏は「つぶす」
肉が食べられない時代、羽をむしる役目は兄妹の役目。
親父が解体作業。食欲旺盛な私は、真剣に眺めていた。
今のスーパーで豊潤な食材を、命を頂いている意識も持たず
食している今の人はかわいそうに思える。
私たちが生きているということは、他の命(植物含め)を
いただいているということ。
「いただきます」という言葉は、そんな意味。
「金払って頂きますなんて大反対」なんぞとおっしゃる
馬鹿なかたもおられるようだが、自分が生かされてきている
感謝の気持ちのない方。
2.餃子
何故か料理なんぞ普段しない親父が気が向くと作っていたのが
「餃子」
ア、皮作り
小麦粉にイースト菌と温湯を混ぜ、濡れ布巾かぶせ、発酵させる。
膨らんだら、伸ばして皮を作る。
イ、具
玉ねぎ・にんにく、みじん切り。ラードで豚ひき肉と炒める。
皮に包む。へりは水をつけて。
ウ、蒸す
蒸し器で蒸す。当時はでかい木の蒸し器を使っていた。
(赤飯なども作っていた)
エ、食す
酢醤油でさっぱり。焼き餃子とはまた違うおいしさ。
てなことで、私も元気なうちは市販の皮で作っていたが
思い出すとまた食べたうなってきた。
食は人の生涯の中で刷り込まれていくもの。
命に感謝しつつちょっと各自の食の思い出にひたるのも
一興かも。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます