なんで、こうなってしまったんだろう・・・
そんなことを考えながら、歩いていました。
周りを見ると、自分と同じように歩いている人がたくさんいました。
中には、自分のゼッケン番号よりも早い番号のランナー(つまり、速い人)もたくさん。
みんな、自分と同じように悔しい気持ちで
走りたいのに走れずにいるんだろうなぁ・・・
そんなことを考えながら、ゴールに向かって歩みを進める自分でした。
沿道では相変わらず、たくさんの人が声援を送ってくれています。
ゴールまでの距離が近くなると、増えてくるのがこんな声。
あと○kmだから、ガンバレ~!
そんな有り難い声援に応えて、走り出したい気持ちはあるのですが、それができません。
それがまた、何となく申し訳ない気持ちになり、恥ずかしくて帽子を深くかぶりなおしてしまったり。
情けないなぁ・・・という気持ちでした。
残り300m
ミズノ本社ビルに掲げられていた、室伏広治選手からの応援メッセージ。
完走おめでとう。
全てのランナーに、金メダルを!
なんだか、この言葉に救われました。
思い通りにはいかなかったけど、自分だって第1回大阪マラソンの完走者になりたいんだ!
最後、走り出しました。
脚が攣ると恥ずかしいので、ゆっくりゆっくりのペースで。
4ヶ月間の取り組みの最後の時間です。
何とか
本当に何とかゴールできました。
ゴールタイム 4:46:01(6分46秒/km)
すぐに嫁に電話し、無事にゴールしたことを伝えました。
主観的には、冴えないレースになってしまいましたが
客観的には、フルマラソンをゴールしたという事実には間違いありません。
そのことは、素直に喜びたいと思いました。
ボランティアの方に、第1回大阪マラソンの完走メダルをかけていただいた時は、本当に嬉しかったです。
そして、フィニッシャータオルを肩からかけていただき
荷物返却のときには、ボランティアの皆さんから完走を祝福する拍手までしていただきました。
第1回大阪マラソン
辛かったけど、最高でした!
出場できたことに、心から感謝です!
また出たい
というか
絶対出ます!
大阪の敵は大阪で討つ
当然ですよね?
30kmを過ぎて間もなく、右脚にちょっと疲れを感じてきました。
でも、脚に疲れを感じることはハーフのレースでもあることで、実際前回の東京マラソンの時も同じような感じの中、30kmから勝負をかけることができたので、たいして気にはしませんでした。
そして
34km付近
第一波がやってきたのでした。。。
右膝上の筋肉が攣ってしまい、その場で立ち止まってしまいました。
とりあえず、コース脇に出てしばらくストレッチを行いました。
痛みがひいたので走り始めると、またすぐに攣ってしまうという状況。
ストレッチとランを繰り返しながら、何とか35km地点を通過しました。
35km通過タイム 3:32:32(34:12)
間もなく、右太ももが攣ってしまいました。
これは、本当に激痛で、しばらく痛みの出た箇所から手を離すことができないほど。
だいぶ時間が経って、ようやく痛みが治まり歩き出しましたが、走るとすぐに痛みが再発するので、走るのはとりあえず諦めました。
でも、どうしてもフルマラソンの自己ベスト(4時間28分10秒)を記録したいと思い、せめて早歩きでと競歩のような大きな腕振りで歩いてみましたが、これでも痛みが出てダメでした。
そして、遂には左脚のふくらはぎも攣ってしまうという有り様。。。
だめだ・・・
終わった。。。
走ること(早歩き含む)を、完全に諦めました。
ちょうど携帯電話を見たら、嫁からメールが来ていました。
身体に異常ない?
と。
思わず電話をしてしまいました。
脚攣って、走れなくなった・・・
そう言うとエラク悲しくなってしまい、ちょっと泣きそうになりました。。。
ただ、競技終了までは、まだ十分に時間がありました。
自分的に『完走』とは言えないような内容かもしれないけど、ゴールはしなくちゃ。
気を取り直し、ゴールに向かって歩き始めました。
40km通過タイム 4:25:53(53:21)
走っているときには、あまり感じたことのない
1kmという距離の長さに、ダメージを受けながらの歩みが続きます。