・第4回ゆあまいのお知らせ - こおひいたいむさんの企画に参加します。
今回のテーマは「あの時何してた?」です。
2020年、2021年のコロナ禍真っ最中の時、私は何をしていたのだろう・・・・・・。
それで昨日(もう一昨日)、パソコンのマウスをクルクルやって、2020年の写真をグーグルのフォトで見返していました。
思わず・・・・
「ややっ!?」となった私です。
なぜならそこには毎日を楽しんでいる画像ばかりが並んでいたからです。
2020年2月
谷中に行った時、何となくまだ気持ちの中では対岸の火事のようなものだったように思います。
「なんだか怖いね。マスク持ってきたよ。」「私も携帯の消毒薬持ってきた、一応ね。」なんて会話してたもの。
だけどなぜだか1枚も写真が無いのだけれど、その次に横浜に行った時、私は二重マスクに使い捨て手袋をして行ったのでした。
冬なのに「あっち―」とか言って(そう、マスクって暑くなるんですよね。)、部屋に入っていくと、姉妹たちに「二重マスク !!」と驚かれたのです。
でもあの頃のコロナへの加速度は半端ないものがありましたよね。
あっという間に、姉妹とも気軽に会えなくなりました。
それでも私は家で、蘇(牛乳を煮詰めた昔の保存食。チーズケーキのような味わいで美味しいですよ。)を作ったりエッグベネゼクトを作ったり、毎日の暮らしを楽しんでいたと思います。3枚目はオレンジラッシー、4枚目は水無月、5枚目はミントティーです。
また、押し花を作ったり部屋の片づけもしましたが、飾りつけ等を楽しみました。
コロナでパートの仕事を失ってしまった人、お休みの人も多くて、マンションの園芸サークルも参加者が多く、皮肉なことに、そのサークルが一番楽しく感じた時代を迎えたかもしれません。
我が家のルート君もリモートの出来る仕事ではなかったので、1日おきにお休みになり、それで近場の行きたかったところのほとんどに連れて行ってもらったように思います。もちろん近場なので、連れて行ってもらわなくても行ける場所もありましたが、一緒に行きたかったのですね。
利根川の岸辺(秋には自転車で一人で行きました。)
運河。
こんぶくろ池。この頃の私はまるで、この場所のなんちゃって広報みたいになっていました(笑)
手賀沼。
松戸の戸定邸
旧吉田家邸宅。
なんだか写真を見返していると、過ぎた時間が愛おしくて、胸がキューンとなるのです。なんたって5年も前の事ですからね。
星子さんとは、もう少し遠出。
私が「やっぱり怖いから東京には行きたくないわ。」と言い、続けて「あっ、そうだわ。水元公園に久しぶりに行きましょう。」というのを聞いて、星子さんは首を傾げたけれど黙っていて、そこに着いてから「水元公園って東京にあるのね。」と私が気がついたと言う話は、もう星子さんは覚えてないと思います。
あけぼの山。バスで行こうと思ったら、かなり歩いてちょっと大変でした。
ずっと昔から行きたかった日光、裏見の滝。
ずっと行きたかった室の社。
この時思いました。私たち、人があまりいないところに行くのが得意ねと。
他にもひとりで、ただの川べりのお散歩には行ったりもしました。
横浜のいたち川。
ほらね。写真だけ見返していると、「自粛」していたのかと疑われるような、楽しい毎日にしか感じないじゃないですか。
結局、いかなる状況においても、楽しむを手放さない人と、やみくもに怯えてジィイイっとしていた人に分かれてしまったのかも知れませんね。
だけどあの頃、自由に姉妹たちにも会えず実家にも帰れず、私たちは囚われの姫と王子だったと思います。
あの閉塞感の息苦しさって、半端なかったですよね。
ちょっと数記事だけリンクさせてください。あの時の本当の自分の気持ちが書かれています。
もしくは「#2020年の主婦の日常日記」なるものに自分の気持ちを綴っていました。
トップ画像は大平山から見た夕日。
そして
2021年に行った「守谷野鳥の森」です。
道はあって当たり前のように感じるけれど、実はそうじゃない。
誰かがそれを作っているんだよ。
ただ歩く。
それにだって感謝して良いんだね。
迷ってばかりいる毎日だけれど、それでも誰かに感謝しながら生きています。
2020年の1月にはももちゃんが居た。
だけどその年の12月には、彼女はいなかった。
ポツンと1匹のあんずさん。
私は泣きながらももちゃんに言いました。
「今年はろくでもない年だったね。だけど来年はきっといい年になるよ。一緒に2021年を見ようよ。」と。
だけど彼女はそれを見ることはなかったのです。
そして2021年は、さらにろくでもなかったのでした。
新年にも一族では集まれず、夏などには、とうとう我が家にもコロナがやって来てしまいました。
ずっと会えなかった姉妹たち。
秋には病気で闘っていたスノウさんは、迎えに来てもらっても横浜の実家に帰る力がないと言いました。
それで私たちの自由が丘通いが始まったのでした。
2021年のフォトにも、楽し気な画像が並んでいます。懐かしいです。
でもきっとあの時、私は行った先の風景を楽しみながらも心はいつも、曇天の空の下を歩いているような気持でいたと思います。
2020年、2021年の私たちは、忘れてはいけない歴史の中にしっかりと生きていたと思います。
まったく書ききれていませんが、その年と改めて向き合うことが出来て良かったです。
こおひいたいむさん、いつもありがとうございます。