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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

テーマ「あの時何してた?」

2025-08-22 08:26:12 | ありがとう、gooブログ

第4回ゆあまいのお知らせ - こおひいたいむさんの企画に参加します。

今回のテーマは「あの時何してた?」です。

2020年、2021年のコロナ禍真っ最中の時、私は何をしていたのだろう・・・・・・。

 

それで昨日(もう一昨日)、パソコンのマウスをクルクルやって、2020年の写真をグーグルのフォトで見返していました。

思わず・・・・

「ややっ!?」となった私です。

なぜならそこには毎日を楽しんでいる画像ばかりが並んでいたからです。

 

2020年2月

谷中に行った時、何となくまだ気持ちの中では対岸の火事のようなものだったように思います。

「なんだか怖いね。マスク持ってきたよ。」「私も携帯の消毒薬持ってきた、一応ね。」なんて会話してたもの。

 

だけどなぜだか1枚も写真が無いのだけれど、その次に横浜に行った時、私は二重マスクに使い捨て手袋をして行ったのでした。

冬なのに「あっち―」とか言って(そう、マスクって暑くなるんですよね。)、部屋に入っていくと、姉妹たちに「二重マスク !!」と驚かれたのです。

でもあの頃のコロナへの加速度は半端ないものがありましたよね。

あっという間に、姉妹とも気軽に会えなくなりました。

 

それでも私は家で、蘇(牛乳を煮詰めた昔の保存食。チーズケーキのような味わいで美味しいですよ。)を作ったりエッグベネゼクトを作ったり、毎日の暮らしを楽しんでいたと思います。3枚目はオレンジラッシー、4枚目は水無月、5枚目はミントティーです。

   

また、押し花を作ったり部屋の片づけもしましたが、飾りつけ等を楽しみました。

   

 

コロナでパートの仕事を失ってしまった人、お休みの人も多くて、マンションの園芸サークルも参加者が多く、皮肉なことに、そのサークルが一番楽しく感じた時代を迎えたかもしれません。

我が家のルート君もリモートの出来る仕事ではなかったので、1日おきにお休みになり、それで近場の行きたかったところのほとんどに連れて行ってもらったように思います。もちろん近場なので、連れて行ってもらわなくても行ける場所もありましたが、一緒に行きたかったのですね。

 

利根川の岸辺(秋には自転車で一人で行きました。)

運河。

こんぶくろ池。この頃の私はまるで、この場所のなんちゃって広報みたいになっていました(笑)

手賀沼。

松戸の戸定邸

旧吉田家邸宅。

 

なんだか写真を見返していると、過ぎた時間が愛おしくて、胸がキューンとなるのです。なんたって5年も前の事ですからね。

 

星子さんとは、もう少し遠出。

私が「やっぱり怖いから東京には行きたくないわ。」と言い、続けて「あっ、そうだわ。水元公園に久しぶりに行きましょう。」というのを聞いて、星子さんは首を傾げたけれど黙っていて、そこに着いてから「水元公園って東京にあるのね。」と私が気がついたと言う話は、もう星子さんは覚えてないと思います。

あけぼの山。バスで行こうと思ったら、かなり歩いてちょっと大変でした。

 

ずっと昔から行きたかった日光、裏見の滝。

ずっと行きたかった室の社。

この時思いました。私たち、人があまりいないところに行くのが得意ねと。

 

他にもひとりで、ただの川べりのお散歩には行ったりもしました。

横浜のいたち川。

 

ほらね。写真だけ見返していると、「自粛」していたのかと疑われるような、楽しい毎日にしか感じないじゃないですか。

結局、いかなる状況においても、楽しむを手放さない人と、やみくもに怯えてジィイイっとしていた人に分かれてしまったのかも知れませんね。

 

だけどあの頃、自由に姉妹たちにも会えず実家にも帰れず、私たちは囚われの姫と王子だったと思います。

あの閉塞感の息苦しさって、半端なかったですよね。

ちょっと数記事だけリンクさせてください。あの時の本当の自分の気持ちが書かれています。

シミュレーション !?

囚われの姫と王子たち

もしくは「#2020年の主婦の日常日記」なるものに自分の気持ちを綴っていました。

 

トップ画像は大平山から見た夕日。

そして

 

2021年に行った「守谷野鳥の森」です。

道はあって当たり前のように感じるけれど、実はそうじゃない。

誰かがそれを作っているんだよ。

ただ歩く。

それにだって感謝して良いんだね。

迷ってばかりいる毎日だけれど、それでも誰かに感謝しながら生きています。

 

2020年の1月にはももちゃんが居た。

だけどその年の12月には、彼女はいなかった。

ポツンと1匹のあんずさん。

 

私は泣きながらももちゃんに言いました。

「今年はろくでもない年だったね。だけど来年はきっといい年になるよ。一緒に2021年を見ようよ。」と。

だけど彼女はそれを見ることはなかったのです。

そして2021年は、さらにろくでもなかったのでした。

新年にも一族では集まれず、夏などには、とうとう我が家にもコロナがやって来てしまいました。

ずっと会えなかった姉妹たち。

秋には病気で闘っていたスノウさんは、迎えに来てもらっても横浜の実家に帰る力がないと言いました。

それで私たちの自由が丘通いが始まったのでした。

 

2021年のフォトにも、楽し気な画像が並んでいます。懐かしいです。

でもきっとあの時、私は行った先の風景を楽しみながらも心はいつも、曇天の空の下を歩いているような気持でいたと思います。

 

2020年、2021年の私たちは、忘れてはいけない歴史の中にしっかりと生きていたと思います。

まったく書ききれていませんが、その年と改めて向き合うことが出来て良かったです。

こおひいたいむさん、いつもありがとうございます。

 

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好きなものがある幸せを力にする

2025-08-15 09:57:12 | ありがとう、gooブログ

ご存じな方も多いかと思いますが、私の俳優さんの一番の推しの方は藤原竜也さんです。

だけどこのブログを始めた頃は、まだ彼のお芝居を観に行ったこともないし、「身毒丸」を観に行けた頃も、まだ彼の「たつ」の字が「龍」なのか「竜」なのか迷う始末。

そんな程度の「好き」だったのかも知れません。

ここから先の数行は、私だけの感覚で大いなる勘違いかもしれないのであしからずです。

ちょうど「身毒丸」のあたりから、彼自身も(いつと言う部分はあっていないかも)スランプだったと言っていましたが、壁にぶつかっていたのだと思います。

なんだかお芝居にかすかな違和感を感じていました。

だけど名前もちゃんと書けない私でも、「仮面学園」で見たあの透明感のある不思議な美しさを私の中から手放す事は出来なかったのです。

彼をずっと好きで良かったです。

本当に多くの感動を貰いました。

そのスランプは、その後の彼に必要な時間だったと思います。

「壁」って本当に必要な物なんですね。

 

ブログをさぼり気味だったので、いろいろ書き逃していますが、その中の一つが5月に観に行った「マクベス」の感想です。

まあ、このお芝居の感想を一言で言うと

「『毎日の暮らしの中で苦痛に思うことがあっても、マクベスの苦悩と後悔に比べたら大したことないな。』とこれからは思うことにする。」だったかもしれません。

 

この「マクベス」情報ですが、

9月6日(土)午後8:30 WOWOWで放送されます。

その記念に

同日 午後6:00 「中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~」も放送されます。

 

私は、この「中村仲蔵~・・・」を観て、NHKの「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」をどうしても見たくなり、オンデマンドに入ってしまったようなものです。ドラマの中のたっちゃんもカッコ良かったですよね~。

 

あとですね、「全領域異常解決室」#10

映画になりますね♪

上の記事はリンクしていますが、そこにスピンオフ作れ~、映画作れ~と私の願望が書いてありますが、このドラマの感想は全話書きましたが、それらの記事を目次的にリンクしてありますので、ご興味のある方はどうぞ。

 

今は主に藤原竜也さんの事ばかりを書きましたが、来年の1月には「葬送のフリーレン」の第2seasonも始まるでしょう。

最近なんかぼんやりしていたけれど、行きたい場所もいろいろ出てきたり、楽しみな事も出て来て、オチオチ死んじゃいられないな(かなり不謹慎発言butそう言うお年頃なんですよね。)と思う日々です。

というわけで、皆様の今日が素敵なことが一つでもあって、思わず微笑みがこぼれるような一日でありますように。

 

※ アメブロ「海辺のドライブ☆平塚漁港の食堂」

※はてなブログ「中国旅行記(上海の夜) - 森の中の一本の木

更新しています。

宜しかったらいらしてくださいね。

そして更に宜しかったら、読者登録よろしくお願いいたします。

 

 

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優しいね。

2025-08-11 02:12:41 | 梢は歌う(日記)

なんだかんだとブログへの情熱が、しばらくは衰えていました。

もちろんgooブログ終了が一番の原因ではありますが、他にも最近なにげに他の事で忙しかったのです。

 

ブログ愛にあふれていた頃、書きたいことがいっぱいで、そのいっぱいな気持ちに逆に書ききれない焦りを感じたものですが、最近はなかなかやる気が出ないものですから、迷うことなくはてなブログの方は、「中国旅行記」ばかりを時々書いていました。

「べらぼう」は素敵な回がいっぱいあったのに、その感想は書けませんでした。

その「中国旅行記」もあと1記事(たぶん)になりました。

はてなブログは→こちらです→森の中の一本の木

 

はてなの方に「中国旅行記」ばかり書いていたので、日記ブログであるアメーバの方にお出かけ日記などが溢れてしまいました。

日記ブログなのですが、徐々にgooのこのブログっぽくなってきてしまいました。

アメーバブログはこちらです。→あんずとクウと☆ももちゃんも。

 

宜しかったら、そちらでも読者登録していただけると嬉しく思います。

 

私はやっぱりこの場所が好きです。

出来たら毎日投稿したいくらい。でも「どうせ消えちゃうのよ。」みたいな気持ちが消えません。もちろん引っ越し済みなので、新しい記事はあっちこっちと二重投稿したりコピーすれば良いだけの事なのですが、なんかやる気が起きないってことは、それさえもしないわみたいな感じだったのですよね。

でもこの場所の終わりも近づいてきてしまったので、少々頑張りたい気分になってきました。

 

最近、いやな事や憂鬱なことが多々ありました。

でもたぶんそれは、今のバイオリズムがたまたま下降期に陥っているだけよと思うことにしました。
憂鬱な事って、やりたくないことをやらねばならぬってだけで、それもすべてが終わった日の事を想像してみました。

ついてないような嫌な出来事もいつかは変わり、そして嫌だなと逃げ出したいことも、時が過ぎると終わっているのですよね。

くよくよする時間が無駄なだけですよね。

(と、言いつつ、体調を崩した後の結論ですからね。なかなか悟れない私ですよ。)

 

昨日、寝る前にふと、凄く寂しい気持ちになりました。

―お父さんに会いたいなと思っても、もうあのいい声で「ああ、花子ちゃん」とは呼んでもらえないのよね。

―スノウさんに会いたいな。会って、又くだらない話や、どうでも良い話なんかを笑いながらおしゃべりしたいな。
「あれっ、私たち、今いっぱい笑ったけれど、何を話したんだっけ。何も覚えてないんだけれど。」みたいな会話。

―ああ、ももちゃんにまた会いたいな。いつも私の左手を枕にして寝てたけれど、その頭を右手で撫ぜてあげたいな。

もうみんな叶わない願いだ。

もしも私が死んだときにまた会えるのかって言えば、私はNOだと思っている。

 

寂しい。もう会えないんだ。

 

そんな事を思いながら寝たからか、なんとスノウさんが夢の中に出てきました。

何か粘膜みたいな袋を破ると、中からスノウさんが出てくるみたいな、面白いけれどシュールな夢だったような気がします。

目が覚めた時、私は幸せな気持ちになりました。

「そんな事を」のそんな事って「寂しい」という気持ち。

私には、だからスノウさんが現れたように感じたからです。

 

スノウさん、あなたは優しいねって、私は心の中で言いました。

そうすると

「そうでしょう」という彼女の得意顔がよみかえり、私は思わずふふふと笑ってしまいました。

 

スノウさんの一つ前の記事は→3月4日は妹の誕生日でした

 

トップの画像は2017年の2月8日の空です。

 

 

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私だけのテーマ展「花追い人」

2025-07-17 15:27:15 | ありがとう、gooブログ

ある時私は「花追い人」であろうと思いました。

 

「こおひいたいむ」さん企画の

「私だけのテーマ展」に参加させていただきます。

 

それはきっと2017年の花桃の里「古河公方公園」に行ったあたりの頃だったでしょうか。

花は毎年咲いて、この花あの花と区別がつくものではありませんが、それでもいつも何かしら思い出を積み重ねてくれるものですね。

この公園には源平の花桃はあまりなくて、何となく心が満杯にならなかった私と星子さんは、この後地元に帰って来て「ラ・ラ・ランド」を見に行ったのでした。

なんかタフだったね、あの頃は。

 

花追い人になろうと思った私は、その後、今は居ない愛子さんと星子さんと一緒に、花を追いかけてあっちに行ったりこっちに行ったりしました。

 

ひとりでも

隠れた穴場のカタクリを見に行ったり、知ってる人は知っていると言うレベルの穴場スポットに彼岸花を見に行ったりしました。

 

カタクリを見に行った頃、小学生が殺されると言う事件があって、集団下校の子供たちと迎えに行くお母さんたちとすれ違いました。

また、彼岸花の祖行院では花を手折るポーズをして写真を撮っている韓国(または中国☆区別が私には着かないm(__)m)のグループに、勇気がなくて「ダメだよ。その花には毒があるから、人によっては茎に触っただけでかぶれるよ。」と言えなかったことは、しばらくの間だけもやりとした気分になった事を覚えています。まあ、言ったところで触っていたことを注意されたと思って、煩いと思われたのかも知れませんが。

 

横浜では、もう穴場とは言えないと思いますが「横浜イングリッシュガーデン」の薔薇。

ここは本当に素敵なところです。

いつも親子三人やお母さんと一緒のお子さんの写真を「撮りましょうか」の押し売りをして、けっこう喜ばれています(;^_^A

なんか私・・・・

けっこうなおせっかいオババですね(笑)

 

 

 

高山植物とか

上野の蓮とか

 

でもね、何処にも行かなくても、花はそばに行ってそっと私たちを見守ってくれているのですよね。

仕事帰りにいつも励まされた、夜の向日葵。

マンションの自慢の紫陽花

花壇の千日紅

 

ベランダの花たち

 

 

私にとっては大切な思い出の花、十月桜(子福桜)

いつでも妹二人が見上げていたシーンを思い出す、柏の葉公園の桜。

コロナの頃、この花にいっぱい励まされました。その花は、キンラン。

 

そしてトップ画像の花はね、今まで出会った花の中で一番好きな花です。

心に沁み込む美しさがあると思いませんか。

もちろんこの花の事は、ブログで書いた事がありますよ。

ただの一シーズンで枯れていく花だけれど、それでも忘れられない出会いってあるんですよね。

 

誰にも見てもらえなくても、または認めてもらえなくても、私は私でしっかりと生きて行こうって、そんな勇気をその花が教えてくれたような気がします。

 

見てしみじみと思った事を、載せていくことが出来て、幸せでした。
gooブログ、ありがとう。

そして、こんな素敵な企画、こおひいたいむさん、ありがとう💛

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なんだかんだと更新が途絶えていますが

2025-07-01 15:46:11 | ありがとう、gooブログ

元気です。

gooでも、まだもう少し更新する予定です。

この記事も、あとからちゃんと追記する予定です。

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やっとブログも復活しました

2025-06-15 03:23:36 | ありがとう、gooブログ

本当は好きでやっているはずなのに、いろいろ時間などに追われて「ねばならぬ」状態がいっぱいに。

ちっともブログに帰ってくることが出来ませんでした。

 

だけどはてなブログと、日記ブログにしているアメーバブログは更新復活しました。

 

中国旅行記(蘇州☆七里山塘の運河) - 森の中の一本の木

 

「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を見てきました。 | あんずとクウと☆ももちゃんも。

 

宜しかったら来てくださいね。

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これ気に入ってます

2025-06-05 08:27:36 | ありがとう、gooブログ

【はてなにお引っ越しされた方ははてな版の→森の中の一本の木
アメーバーにお引っ越しの方は→あんずとクウと☆ももちゃんも。

に読者登録をして頂けると嬉しく思います。こちらからも読者登録させていただきます。】

又はいつもブログに訪問してくださる方も、PCなどのお気に入りに入れてくださると助かります。

10月以降は、新しい記事の更新が出来なくなります。そして11月18日には消滅してしまいます。
このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。】

 

※     ※      ※

 

ブログをウロウロしていたりすると、時には素敵なイベントにばったり出会う時があります。
「写ん歩クラブ」と言うのも、その一つ。

いつも気持ちがそぞろで、そんなには熱心ではなかったけれど楽しかったです。

そんなイベントを知るきっかけとなったこおひいたいむさんの企画の「悪あがき企画ゆあまい」に参加させていただきます。

悪あがき企画『第2回ゆあまい』のお知らせ

悔しいことに第1回を逃してしまいました。今回のテーマは「これ気に入ってます」と言うもの。

それもあってフォトの写真を、つらつらと何年分かを見返したわけですが、懐かしくて思わず過去と言う名の部屋に囚われてしまいました。

でもそんな事をしていたら、またもこの企画を逃してしまいそうです。

花にしようか、それとも猫にしようかと考えました。風景も捨てがたい・・・・

 

花だったら、やっぱり「花桃」かな。

下の画像は2017年に訪れた古河公方公園。

この時も星子さんと愛子さんと三人で行こうと思っていたのよね。でも待ち合わせの場所に来たのは星子さんだけだった。

調子が悪いからと、その日の朝に連絡が来て来ることが出来なかった。

私は「ふーん、そうなんだ。それは残念だったね。」と軽く思ってた。

だけどその翌年の10月2日に彼女は亡くなったのよね。

もう会えないの。

rest in peace

 

 

でも猫にしましょう。

トップの画像は、あんずさん。

副タイトルをつけるとしたら「てつがくの猫」でしょうか。

もちろん「てつがくのライオン」のパクリタイトルですね(笑)

トップ画像のあんずさんの変顔。
でも何か「てつがくの猫」って言う感じがするじゃないですか。

 

今は猫の楽園の住人になってしまったももちゃん。

いつもやって来ては、人の左手を枕にするー。

きっと深い考えがあってのことよね(きっと何も考えていないに違いない)

フーム。猫の人生とは何ぞやとか。(だから何も‥‥)

 

 

 

二匹のてつがく猫のミーティング。

「あのね~、今はももちゃんの代わりに、ぼくがてつがくしてるよ。」と黒猫クウが申しております。

なぜ、ママの服の上に寝ると気持ちが良いのだろうを思考中。

 

「てつがくのライオン」は次にリンクした記事内に解説とさわりだけ載せてあります。

もの考える秋

その記事内に書いてある「ちょ、ちょ、」って何だっけと自分でも思いましたが、たぶん著作権と書きたかったのだと思います。

2011年に書いたその記事を読み直して、秋の帰り道を「人は何のために生まれて来たのか」と考えながら帰ってきた10歳のルート君もめちゃくちゃ可愛いけれど(完全親バカ(笑))、

「『人間は殺しむさぼり続ける葦である』」なんて言っているその時の私にも驚いてしまいます。

あれから三倍は脳内農場に馬と鹿を増やしてしまったなと、思わず嘆く朝です。

 

だけどブログって、そんな風に忘れたくない事やなにげないひとコマを折り畳んで、しまっておける場所なんだな認識を新たにしました。

7年前のあの日。14年前のある時。

去って行ってしまった人、去って行ってしまった猫、だけどやってきた猫・・・・

もう少し人生は続いてほしいと思っている私です。

 

 

 

 

 

 

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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第21回「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」

2025-06-03 02:13:30 | ドラマ (大河)

蝦夷と聞いて、田沼意次は源内を思い出しました。

広い広い蝦夷。そして金も出る・・・・。

蝦夷と金と聞くと、私は「ゴールデンカムイ」を思い出す・・・・・(笑)

 

そして出てきた松前藩の恐ろしい殿様松前道廣。
私、ここでも「十三人の刺客」に出てくる恐ろしい殿様を思い出してしまったのですね。

あの映画の殿様は、明石藩で松平 斉韶。実在の人物と名前は一緒ですが、諸々と性格などはフィックションらしいですね。少々お気の毒。

だけどこっちのドラマの松前道廣は、そうとばかりは言い切れないようです。

後に謹慎になったり・・・・・・

って、謹慎なんて甘いような気がしますよね。

今回の人間の的なんかも酷いお話に感じ、「こんな奴には天罰が下れ。」と思ってしまいます。多分そこが狙いなんですよね。

 

意次がとっても正義の人に感じてしまいます。

しかし意次の息子の意知は、落ち着いて状況を判断できる優秀な人物だったのですね。

父親の方が短絡的・・・・あの家系図を池に投げ込んでしまうようなところも含めて。

こんな優秀な息子がずっといれば・・・・

 

誰袖、田沼一派に、蝦夷上知に役に立つ代わりに身請け話を持ち掛ける・・・・・

ああ、なんか不穏な空気。

 

どんなに春町先生が荒れたとしても、蔦重の世界に話が戻ってくるとホッとします。

しかし荒れた春町が、攻撃的な狂歌を詠み、座が緊迫した状況になっていた時に、「プぅ」という音が。

それ、遣らかしたのはお兄ちゃん。

なんかそれ、天然に出来るところが流石だなって感心しちゃいました。

 

だけど夫殿は、次のみんなが「へ・へ・へ」と言いながら、和歌の名作をもじりながら歌を詠っていく所に、「凄いな。」って物凄く感心していました。

私は感情移入度が、高い時には高い。当たり前のことを言っていますが、あのシーン、自分に回ってきたらどうしようみたいな気持ちになって、ちょっとだけドキドキしました(笑)

 

また私がもう一つ感心したのは、狂歌のお勉強会を吉原でさっそく開いていたところでしょうか。

もてなす力、要求されていたのでしょう。つけなければならない教養もあったと思います。

誰袖が詠って、まんまと大金をせしめた時、「うまいなぁ」って感心してしまいました。

 

でも今週の驚きは、春町先生が筆を折ってしまうところだったかも。

そして更には大文字屋市兵衛の復活でしょうか。

と言っても二代目で、俳優さんが伊藤淳史。

一瞬わけがわからずに、時間軸が前に戻ったのかと混乱しました(笑)

伊藤淳史、もう退場かと思っていたので、再びの登場は嬉しかったです。

 

蝦夷の件がどうなっていくのかも楽しみですが、なんたって歌麿がどうやって売れていくのか、それも含めて、次週も楽しみです。

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40歳の前半か後半か、それが問題だった

2025-06-01 02:46:36 | ありがとう、gooブログ

19年間も続けてきた、楽しいブログ生活の想い出を綴ります。

「gooで良かった、その3」です。

※     ※     ※

【はてなにお引っ越しされた方ははてな版の→森の中の一本の木
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又はいつもブログに訪問してくださる方も、PCなどのお気に入りに入れてくださると助かります。

10月以降は、新しい記事の更新が出来なくなります。そして11月18日には消滅してしまいます。
このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。】

 

※     ※      ※

ブログなども長々続いていると、その長々続いていることを少々自慢したくなると言うか、誇らしいような気持にもなるってものじゃないですか。

「そんなこと全くないわ。」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、何事も継続は難しいものです。その難しい継続をしているものが一つでもあったら、私はやはり少しはそう言う誇らしい気持ちになりますよ。

だけど私、ある時に「××年、続いています。」とか言うのも、ある意味怖いなと気がついてしまいました。

1年たったら、年齢も一つ加わっていくのですから・・・・。

 

私はこのブログを40代の時に始めました。

若いですよね~。しみじみ。

今の私から見たら、子供みたいなものですよ。

実は私は、ブログの中で自分の年齢をはっきり言った事がないのです。

むしろ逆に、私自身が「年齢」と言うものを意識する人であったがゆえに、そうであったのかも知れませんが、年齢に縛られたくないような記事を書いていきたかったのだと思います。

すでに2009年に、私はこんな記事を書いていました。

その扉は開いている。その扉は閉ざされている。

歳を重ねていくと、徐々に閉じて行ってしまう扉を感じていたのですね。

 

まあ、19年だったら40歳の初めから始めようが終わりから始めようが、いずれにしてもアバウト60、もしくはアバウト70かも知れませんが、たいして違わないわけです。

だけど15年の頃だと、55歳から65歳までの差があって、それはちょっと大きな違いが、そこにはあったように感じていました。でもまあ、子供たちも大きいと言うよりすでにおじさんなので、バレバレと言って良いのでしょう。

ああ、だけど・・・・

ブログを始めた時には、ルート君は高校生。ラッタさんは大学生だったのですよ。

懐かしいな。胸がキューンとなるくらい。

 

これからもしばらくは私は年齢は、もうバレバレですよと言われても、敢えて自分からは言わないと思います。

 

前にも書いた事ですが、近所のお友達で「砂の惑星」にお誘いできる方がいません。

アニメの話も出来ません。

これは私の扉は閉じられていってしまっているからというわけでは無いと思うのですね。

それはたまたまですよ、きっと。

でも私、まだやっぱりブログを止めたくないなと思う理由が、そこにあるのだと思うのです。

 

下に貼ったものは2009年の記事にも貼ったものです(今は削除されています。)

その頃すでにお友達に、「範囲広いね。笑っちゃった。」と言われていました。

今は少し、歳を取ったのか、昔ほどはのめりこめない感じです。

だけどついつい聴き入って、他の曲やピアノバーとか時間を費やしてしまいました。(;^_^A

 

エルの絵本【笛吹き男とパレード】

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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第20回「寝惚(ぼ)けて候」

2025-05-31 16:08:14 | ドラマ (大河)

※ この記事は「はてなブログ」と同じものを載せています。

ちょっとサボると、あっという間に1週間が経ってしまいました。

明日はもうその続きですね。

 

時間が経つと、覚えているところが、私にとって印象深かったところと言えるでしょう。

 

私にとって印象深かったのは、短歌と狂歌の違いかしら。

 

俳句と川柳の違いって、間違えていたとしても、意外と説明しやすいじゃないですか。つまり季語があるか無いか・・・・じゃないですか?

 

でも短歌と狂歌の場合は、ちょっと感覚的な何かを説明しなければならないような気がします。

蔦重も「狂歌話し言葉で書いても良いらしいですよ。」と言っていましたよね。

つまりその時代の新しい感覚そのものだったのですね。

技巧とか技には走らず、そしてのちに残すことも意識せず、その場その場の楽しさを求めての句会のように感じました。

 

「短歌と狂歌の違いを教えて」と私のパソコンのAIに聞いてみました。

『短歌と狂歌はどちらも五・七・五・七・七の形式を持つ日本の詩ですが、内容や目的に違いがあります。

短歌は、自然や感情を美しく表現するための詩であり、個人の思いや情緒を込めて詠まれます。古くから貴族や歌人によって詠まれ、文学的な価値が高いものとされています。

狂歌は、短歌の形式を用いながらも、社会風刺やユーモアを交えた詩です。江戸時代に特に流行し、世の中の出来事や人々の生活を皮肉や風刺を込めて詠むことが特徴です。

 

つまり、短歌は美しさや感情を表現するのに対し、狂歌は風刺やユーモアを楽しむものですね。どちらも日本の文化を豊かにする素敵な詩の形です!』

 

大田南畝桐谷健太)が出てきましたね。

何に対してもポジティブな彼の姿勢が素敵でしたね。

彼については→大田南畝 - Wikipedia

それを読むと、「狂詩には寝惚ねとぼけ先生と称した」とありました。

 

「ああ、だからこのタイトル!!」って、遅くてすみません(;^_^A

このドラマ、知らず知らずにほんのちょっとだけ教養が身につくってもんですね。

 

アッ、言いたくなっちゃった。

「教養っていつつくの?

今日よぅ。」って。(;^_^A

 

そして蔦屋と鶴屋はいつか・・・・・。

 

それから江戸城に方々は・・・・。

あっちは気持ち的に辛いので、また今度。

ただ生田さんは大河で、何かを磨いているような気がします。

惡であっても、視聴者には嫌われずに客観視してみてもらえる貴重な存在のような気がします。

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