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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

2017-04-05 12:00:06 | 映画

 

映画がいろいろな事を教えてくれます。

「ラ・ラ・ランド」の意味の「la」はロサンデルス・ハリウッドを意味し、主にハリウッドをさす場合が多いらしいです。また次の「la」は陶酔しハイになる状態で、「land」は夢の国。

この「ラ・ラ・ランド」と言うのはこの映画の為の造語かと思ったら、そうではなくてかなり歴史もある俗語なんですね。 そのままハリウッドをさす場合もあるし、夢の国の住人になっている人をさす場合もあるようです。

一番最初にこの映画のタイトルを聞いた時は、ミュージカルだし「ららららんど」かと思ってた・・・・って話はどうでも良いですね ^^

 

最近胸がいっぱいになると言う感覚を覚えて、それが溢れると涙が出ると言う、泣き虫女でもちょっと余裕が出てきました。この映画も胸がいっぱいになるシーンがいっぱいでした。

そして涙が・・・・。

エンドロールが長いと助かります。サッサと涙を拭いて何事もなかったように・・・・と、また音楽を聴いて涙がジワーッと、またササッと拭いて何事も・・・・だけどまた・・・・って長いエンドロールでは、元の木阿弥…って話もどうでも良いですね ^^

だけど映画館から余韻を引きずりながら出てくると、後ろからやって来た青年たちがデカい声で

「最初は良いと思ったけれどさ、最後で台無しだよ。あそこは要らないな。」

ー 何言っちゃってくれるの。あそこが良いんじゃないのよ !!

と、思ったりもしたのですが、家に帰って、またあれやこれやと検索すると、最後の数分の場面は賛否で真っ二つ。

それはそれで良いのではないかと思います。人の感覚はそれぞれなんですから。

 

本当の事を言うとね、ちょっと吃驚はしたのです。

でも還ってそのシーンが深い余韻に繋がったんですね。だから私は「賛」の方の立場で書きますね。

 

「夢」「dream 」は、不思議な言語だと思うのです。目覚めてしまえば消えてしまう夢と、起きて思い描く儚いような願望を同じ言葉で表現するのですから。

夢を叶える。夢を掴む。それはどんなにか困難な道。ほとんどの人が、それは「夢」だったと諦めて、そして心の平安を得るのです。

夢の国のおとぎ話では終わらないから物語に深みが出たんだなと、私は感じました。

オープニングは、噂通りの素晴らしさでした。

私はどうしても、一番後ろの方の顔も識別できないのに一生懸命に跳ねている人に目が行ってしまいます。

「ラ・ラ・ランド」はそんな人たちが、この先頭に出てくる話だなとも思えるからです。

 

 ←この人たち、オーデションに受かって嬉しかっただろうな。

 

物語に寄り添えなくても、音楽や衣装やダンスを堪能できるのがミュージカルの良い所ですよね。

衣装は色鮮やか素敵でした。 以下はネタバレしています。

ミアとセブの恋は一生に一度のような恋だったかもしれないけれど 、数か月の恋。

一緒に暮らした歳月はどんなに短くても、密度の濃いものだったかもしれません。

何度もオーデションを落ちるミアに、シナリオを書けとセブは勧めます。そしてミアは一人芝居にチャレンジすることになるのです。

昔のバンド仲間のキースの誘いを最初は見向きもしなかったセブが、けっきょくは彼らとつるむ事になったのは、ミアの実家に電話する内容を聞いていてだったのでした。

「いつか自分のお店を持つ人なのよ。」

 

それを聞いていて、たぶんそれまでのセブは夢だけで具体的な一歩なども踏み出してなかったのかも知れません。

だからキースのバンドの方向性が自分とは違っていても、それを受け入れたのだと思います。

この時のキースの説得には、納得のいくものがありました。

どんなに素晴らしい伝統でも、古きに拘って新しい人たちに伝え指示されなければ、それは滅びの道を一直線に進むだけなんですよね。

 

キースのバンドのライブシーン。もう本当に胸がいっぱいになりました。

キースの歌は上手いし(この人は、ジョン・レジェンドと言うシンガー)、音楽も素敵だと思いました。舞台の演出も、実は全く嫌いではありません。観客もノリノリで、セブもノリノリ。

だけどそれを見ていたミアの気持ちは凄く複雑だったと思います。見ている私たちと同じように。

 

その日たまたま、私は友人と、好きな事と仕事に選べる人は稀であると言う話をしていたばかりです。

傍から見れば、成功したように見えるセブの仕事。でも本当は、彼は自分の中の何かを捨てたのです。その何かは、彼の「夢の欠片」だったかもしれません。

だからそこはミアには口にして欲しくなかったです。だって辛すぎるから。

セブのバンドが上手くいき、二人の生活はすれ違いばっかりになってしまいました。

 

サプライズで戻ってきたセブは、とうとうもっと一緒にいたいからツアーについて来てなどと言ってしまいます。

もうすぐひとり芝居の本番だと言うのに。

これは二人の恋が上手くいくか否かって話じゃないんですよね。

ミアはそれまできっと我慢して言わなかった事を言ってしまいます。

あの音楽をあなたは好きなのか・・・って。

あなたの夢はどうしたのかって。

仲たがいして出て行ってしまうミア。

その時は、すごい剣幕で言い返したセブでしたが、(確かにその道を選ぶのも一つの選択だと思うのです。)

写真撮影の時、その演奏の時の表情などを写真家に作られて、流石にセブは感じたものがあったのかも知れません。

けっきょくひとり芝居には間に合わなかったわけですが、ミアのひとり芝居は散々な結果になりました。

観客はまばらだし、通路から聞こえてきた批評は「大根」と言う酷評ばかりだったからです。

傷ついて実家に帰ってしまうミア。だけどセブの元に配役のなんちゃらから、一人芝居が気に入ったからオーデションに来いと連絡が入ります。

セブは以前ミアの話から推理して、彼女の実家にたどり着き彼女を説得するのです。

このシーン、私、ちょっと心がざわつきました。たぶんうちの旦那じゃ無理だったわ。いやいや、世の旦那族、無理な人が多いわあって思いました。だって、聞いてないもん、奥さんの話・・・って、お宅の旦那さんは違いますね^^;

 

「ダメだった。失敗した。」そう思っても、実は次の大事な布石だったと言う事はその大小はあっても、実は実際にある事なんですよ。ある程度の人生の経験値が高い方には、その経験のある方はたくさんいらっしゃると思います。

 

オーデションについて行ったセブと二人で天文台の見える想い出の丘の上に行きます。

この時点ではオーデションの結果は分かりません。でも手ごたえがあったのです。

セブは言います。受かったら、それに専念しなくてはいけない。

僕はこの街にいると。つまりツアーには行かないで、この街で再び夢を追いかけると言ったのですよね。そしてミアには掴んだ夢を放してはいけないと言ったのだと思います。

「愛してる。」

ふたりは言い合いますが、このシーンはある意味、別れのシーンだったのだと思います。

 

だけどその後に「5年後の冬」が描かれました。

ふたりはそれぞれの夢を叶えました。だけどミアは他の人と結婚し子供までいました。ある日偶然に立ち寄ったジャズの店。そこには昔自分が作ったお店のロゴが看板としてかかっていました。それまでミアはセブのその後を知らなかったのです。

お店にミアがやって来たことを知ったセブは二人の想い出の曲を弾きます。

その時走馬灯のように、二人の別の生きたかもしれない人生が描かれるのです。それは、あの時この時と二つの道の上手くいった方ばかりの道。セブの音楽は認められて、横道もそれずに自分の道を歩く道。ミアのひとり芝居は満席で評価も高く、オーデションも上手くいき、ふたりでパリに行き、そして二人は結婚して可愛い子供も二人の子供・・・・・・。

夢は目覚めれば覚めてしまいます。音楽が止めば、誰にも入り込むことが出来ない二人の世界も幕を閉じてしまいました。

もう一つの「ラ・ラ・ランド」の世界が、この「5年後の冬」にあったんじゃないのかと、私は感じました。

だから胸に迫るものがあったのです。

 

お店から立ち去るドアの所でミアは振り向いて、セブと見つめ合います。言葉はなくても二人は頷き合って・・・・。

数か月の恋人だったミアとセブ。

ふたりはきっと「ラ・ラ・ランド」でお互いを高め合い、お互いの夢を叶えるための戦友だったのに違いないと、私は思ったのでした。

 



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「人間の証明」2017

2017-04-04 23:02:55 | テレビ・ラジオ

遅れて感想を書きだしたら、視聴率が出てしまいました。良質のドラマと視聴率は関係ないと日頃から思っている割には、私自身が意外と気にしたりするのは、やはり関係者の方はいろいろと気持ち穏やかではないものがあるだろうなと思うからかもしれません。

数字的にはあまり良くなかったようです。

でもそれは、「この話、知ってるから。」で避けられたかもしれない、そこの段階の問題ではないかと思います。

このドラマはサスペンスでありながら、繰り返しドラマ化されているので、サスペンスとしての謎解きを楽しむ事が既に出来ない人は大勢いらっしゃるかと思います。言うなればこれは人間ドラマなんですよね。

 

「自分の子供を殺そうとする母親がいるのか。」

「いるんですよ。この世の中には、そう言う母親が。」

と言うセリフに象徴された、昔も今も変わらない信じがたい現実がそこには有って、そこには深いドラマがあったりするのですね。

なぜ彼女は自分の子供の胸にナイフを突き立てたのか。

最大の謎はそこにあったのだと思います。

 

私は今回のドラマは好きでした。

なぜなら、静かに抑えた演技でありながら、とんでもない所でうすら笑いを浮かべ、その孤独に生きてきたゆがみを垣間見せ、過去の憎しみを正義の刃をとがらせることに使っていた棟居刑事に魅力を感じたからです。またその彼を支えている常識人の横渡刑事のコンビにもホッとするものを感じました。

この先にも同じメンバーでのドラマが見たいとも思いました。

この意見はツイッターでもお見かけしたので、調べてみると、「棟居刑事シリーズ」は本当にあるんですね。最近では東山さんが土曜ワイドでやっていました。(たぶん見ていたのでは。東山さんも好きですから。)

と、言う事は・・・・・ああ、難しいかな~。

同じ局ですものね。

でももしその希望が叶うならば、私的には特・特のスペシャルでお願いしたいところです。

 

本音で言うとこのドラマも、チョースペシャルでやって欲しかったなと実は思ったのでした。

そしてアメリカロケに行ってもらいたかった・・・・・。

 

殺されなかった中山種。

取調室での最後の八杉恭子のわっと顔を覆うシーン。

霧積にジョニーの帽子を置きに行く棟居。

好きなシーンはたくさんありました。

(お風呂のシーンとか・・・・ ^^)

 

だけど・・・・

ちょっとシナリオ的にがっかりした部分もありました。

この物語は、映画では相当の偶然で出来上がっていました。

少々昔見た映画の話です。

自分の父親をリンチをして殺した米兵がアメリカで協力してくれた刑事だったり、その時父親が助けた女性が恭子だったりとか、今思うとそうんなわけないだろうと言う感じ。でもその頃は、その因縁のような偶然が必要だったのだと思います。そう、あの頃「因縁」みたいなものが流行っていたのではないかと思います。そして因果応報と言うのも・・・・。いや、それは私がそう思っただけだったかもしれません。

だからいやいや日本の刑事に協力した元米兵のアメリカの刑事は、「日本びいき」と言う理由で通り魔に殺されてしまうし、自分の過去を抹殺しようと我が子を手にかけた恭子は、もう一人の息子を守りたかったからだと思います。だけど刑事に追われたその息子は逃げる途中で事故に遭って死んでしまうのです。結局二人の子供を失ってしまうのでした。皮肉と言うよりも天罰だと感じました。

恭子自体、米兵に凌辱され死を覚悟したギリギリのところから這い上がって来ると言う背景は大切なポイントだったと思います。

そして霧積の「キスミ―」は、母の愛を求める掛詞のような物だと私は思っていました。

アメリカロケがないのは仕方がなかったともいますが、なんとなくその辺がいろいろと軽くて、この物語を知っている人が一体何をどのように見たいと思っているのか、この書いた人とは同じ感覚ではないなと、ほんのちょっぴり辛めなことも思ってしまったのです。

 

だけど最初に書いた通り、それをキャストさんたちの重厚で見ごたえある演技で助けられたなと思い…って言いたい放題・・・ゆるしてちょ ^^

 

だけどテレ朝様、いつも藤原竜也さんの素敵なスペシャルドラマありがとうございます。

次回も楽しみにしています。

私、個人的には彼の金田一なんかを見たいなあと思っているんですけれど、どうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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「僕の帽子」西條八十

2017-04-03 12:07:52 | 梢は歌う(日記)

昨日4月2日に放送された「人間の証明」は、静かに始まり静かに終わったと言う感じで、なかなか良かったですね。そのドラマの感想は、また別に書こうと思っています。その前にやっぱりこのドラマの要になっている西條八十の「僕の帽子」を載せておきたいと思うのです。

4月2日に「人間の証明」があるよと言うお知らせのような記事「メモ「人間の証明」は4月2日」の中で、リンクはしたもののこの詩を貼ったりしなかったのは、この詩の中に物語の確信になることが含まれているからネタバレになってしまうからだったのです。

ドラマの始まるインタビューの中で藤原竜也さんも「誰もが知っている話」と言っているように、サスペンスでありながら知名度がすでに高すぎて、犯人が誰なのか「ストハー」とは「キスミ―」とはという謎ときには、もうそんなにはワクワク感は得られない人も多数なのかもしれません。でもそれはある程度の年代に限ってで初めてという若き人たちも多数いるんじゃないかとも思うのです。それでネタバレになるモノは直接には避けたと言うわけなのです。

まあ、そのように若い人が私のブログに来ていただけるかは、そろそろ危うくなってきたかもしれませんが。

「人間の証明」を知ってると言う方は、過去の映画やドラマとなんとなく比較して見た方もいらっしゃると思います。

私も松田優作主演だった「人間の証明」は、忘れられない作品の一つです。

だから何か物が見つからない時などに、自然にこの詩が口について出ると言うほど刷り込まれたように思います。

しかし森村誠一氏は、この詩を読んであの物語を考えたのでしょうか。

霧積とキスミー。

KISS  ME.  と母の愛。

失ってしまったものの思慕。

過ぎてしまった時間。

「母さん」と八十は呼びかけていますが、きっとこの母も記憶の中の母に違いないと、私は思います。

この素晴らしい詩があったから、「人間の証明」と言う物語が生まれたのですね。

 

 

「ぼくの帽子」 西條 八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

コメント (8)
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おんな城主直虎第13回「城主はつらいよ」

2017-04-02 21:16:37 | ドラマ (大河)

今日は、この後「ストハー」ってやつを見なくちゃならないので、いつも以上に簡単に行こうと思います。^^

(と、言いながら昨夜アップしたのは、本当にスカスカだったので朝・追記いたしました。)

 

なんだかタイトルで、だいたいこんな感じだろうなと予測が付きそうな気がしました。

確かに今まで僧侶だったのですから、しかもいろいろと行動はしてきたものの、あれらは政治介入と言うわけではなかったのですよね(気持ち的にはね・・・?…まあいいか。)

だから政治的な事は知る由もなかったのでした。

 

今回、南渓和尚が直虎に手渡した「仮名目録」と言うのは、劇中のセリフにも出てきましたが寿桂尼が作ったと言われているんですね。今川氏が作ったもので東国最古の分国法と言われているそうです。

やっぱり書物で学んだりすることも大事な事だと思います。そしてそれを支える人も大事な事だと思うのです。

もしも鶴が昔のように100%の信頼を置ける相手だったら・・・・とは思います。

きっと何かあると、未だに彼をどこかで信じている私なのですが、いや信じたい私なのですが、どう見ても彼はダークサイドに落ちた人にしか見えません。鶴よ、鶴。それがあなたの本当の姿なの?  (ノД`)・゜・。

 

鶴って小野政次の事なのですが、どうしても私には彼は幼馴染の鶴になってしまうのですよね。

夫などは最初は「おんな城主」と言うタイトルで引いてしまってあまり見ていなかったのですが、最近ではまた視聴復活。ダークな彼しか知らなくて、今回なんかは検索しちゃって
「早くこんな奴は××になれ。」なんて言うものだから
「違う。きっと彼には何か違う想いがあるんだから。」と未だに騙され続けている女状態の私は、そんな事を言って攻防。

ところがこの後の今川での彼の態度を見ていると・・・

「ほらっ !」と夫にも言われ、どうも分が悪いです。

 

また政治って、実は経済を回す事なのかなと思いました。

城主になった途端に、借金と言う大きな難題にぶつかった直虎でした。

そう思うと瀬戸が新しく家臣になった事は、今後の井伊を凄く助けることになるのではないでしょうか。

この瀬戸方久と言う人は、実在の人物だったのか検索してみましたが、なかなか彼の人生も・・・・・・。

だけどドラマ内の彼の立身出世物語アニメは面白かったですね。

 

女がどうとか身分がどうとかとかそんな事ばっかり言っていた中野直之、鬱陶しかったですね。時代が時代だけに仕方がないと思いますが、やっぱり鬱陶しい。そんな者ばっかりが側にいたらやり辛いし、敵は外にばかりじゃないと言うのが今は辛い所ですね。

だけど長年の竜宮小僧修業が功を奏して、民には慕われる城主には成れそうです。

農民の節くれだった手に目をやる城主はそうそう居ないと思うのです。

 

農民たちが今川に徳政令を要求しに行ったのは鶴の画策に違いないと思うのですが、どうなるのか次週も凄く楽しみです。

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ポーの一族「春の夢」第4話

2017-04-01 23:11:54 | 漫画・マンガ・まんが

先日、T-SITE、つまり蔦屋書店に行ったので、そこで買い求めようとしたら、扱っていないんだって。

まあ、立ち読み座り読みに寛大であるそこのコンセプトで言ったら、それは分からないわけではないが、本屋で漫画が買えないとはと驚きました。と言うわけで、またも密林サイト様のお世話になって、遅れて読みました。

エドガーは姿は少年でも、完全なる大人。しかも色っぽいー。

背景的には、連合軍がノルマンディーに上陸しました。パリでは三色旗がエッフェル塔のてっぺんにかけられたとファルカが教えてくれました。

タイトルの「春の夢」の意味が胸に迫ってくる回でした。

<以下、あらすじではないのですがネタバレしています。>

 

月刊flowers(フラワーズ) 2017年 05 月号 [雑誌]
小学館
小学館

 

ずっと命を長らえている一族であり、既に人間とは言わないのかも知れませんが、それでも人と同じような苦しみから逃れられないのかも知れません。

寂しさや衰えていく恐怖は、その逃れられないもの。

 

自分をファルカと呼んでくれる子供を求めて、アランの気持ちの傍に近づくファルカ。言葉巧みにエドガーと引き離そうとします。でもエドガーはファルカの気持ちを見抜き

「あんたはちゃんと子供の面倒を見られないのさ。わがままを許して不用心を招くんだ。」と厳しく言うのでした。

なんだか教育論のようだなと思いました。

甘くわがままをきいてあげることだけが大切にする事ではないのですよね。

「二度と呼ぶな。」「二度と来るな。」と別れてしまったファルカでしたが、やはり彼とこのままと言う事はないですね。

だけど私的には少々嫌な予感もするのですが。

 

クロエはその容貌には全く似合わない服を着て、かわいらしく髪を飾っていました。まるで少女のような装いでした。それは若返りたいと言う願望の現れだったのかも知れません。エドガーからの気を得て若返ったら、きっと似合う服になっていたのでしょう。

だけれどその欲の為に身を滅ぼしてしまいました。

大老ポーは結構厳しいです。

地下の柩の中で、クロエは死にもしないでずっと長い後悔と懺悔の時間が続くのみでしょうか。

 

エドガーが

「・・・・生きて・・・・たんですね。」と言うと、大老ポーも

「おまえもな」と言います。

ふたりの因縁と、その後のエドガーの生きてきた道を思うと、凄く感慨深いシーンでした。

 

寂しさの恐怖は、エドガーにもあると思います。ただ今はアランがいるから、エドガーは幸せですね、きっと。

 

ブランカのおじダンが死んで、だけど・・・・と言うところで次回のお楽しみです。

 

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静かに想いを込めてー「べっぴんさん」

2017-04-01 16:30:14 | テレビ・ラジオ

朝ドラも最終回を迎えたので、一応感想を書いておきたいと思います。

※         ※        ※

とうとう朝ドラが、私にとってたんなる朝の時計代わりになってしまいました。

「あっ、7時半か。」って言う感じ。

惰性と習慣と言うのは兄弟のようなもので、とうとう最終回までその時間になるとテレビから「べっぴんさん」の音楽が流れてきていました。

この朝ドラ、主に夫殿が見ていました。

入院生活の時に、かなり朝ドラの「あさが来た」に励まされていたようで、それから朝ドラを見ることが彼の習慣になったみたいです。

今回も丁寧に先の1週間のあらすじを私に教えてくださると言う、余計なお世話付きでしたが、bsではこのドラマの前に「ごちそうさん」の再放送があったので、どちらかと言うとそちらの方を楽しんで、続けて放送されていたこちらは、やはり私と同じで習慣化の結果だったかもしれません。

 

だけど今朝の最終回は、なかなか良くて感動もしました。

たぶん麻田さんの声を聞いたからかもしれません。

結局は、この麻田さんの言葉が、このドラマのテーマだったのだと思うのです。

「想いを込めて物を作る。」、いつもセリフは正確ではありませんが、そのような事だったと思います。

 

私、この「べっぴんさん」は途中まで本当に好きだったんですよ。

 

モノ作りだけではなく、人にも出来事にも丁寧にゆっくりと向き合う姿が素敵で好感が持てました。

最初の頃のエピソードも、心に残るような素敵なものが多かったです。

 

靴づくりをそっと隠れて見続けてしまうすみれ。

帰りの遅くなったすみれを送って行ったことで、五十八さんからお門違いの怒りを買ってしまった麻田さんを、必死で助けようとしたすみれ。その意外な行動にすみれに初恋の想いを抱いた紀夫。良い流れではないですか。

言葉足らずで良い出会いではなかったすみれと明美の出会いなども好きでした。

戦後、帰らぬ夫を待ちながら、すみれが生活の為に手作りの物を売る始めた流れも好きでした。

そんな彼女を、栄輔さんがそっと支えると言う静かな展開も好きでした。もちろん夫の紀夫が帰って来るまでの期間限定とはいえ、だからこそ切ない物語を綴ることが出来たと思います。

さくらに引き留められて、けっきょくは泊まることになってしまった栄輔がすみれと縁側にいた時に、寝ぼけて起きてきたさくらが「おとうしゃん」と呼びかけた時の、ハッとした栄輔が本当に切なくて、そのシーンが一番好きかも知れません。

今年の桜を一緒にいっぱい見ようなと約束したけれど、紀夫が帰って来て彼はお役御免になってしまいました。

 

後に栄輔はすみれに
「あなたは本当に人の心が分からない人だ。」と言う事を言うのですが、私も本当にそう思います。

鈍感である事は時には残酷。

 

それでも仕事に萌えていた姉のゆりさんが、子供が出来るとその考えを変えて行ったり、その前には町のボスと向かい合ったりと、本当に面白かったですね。

 

が、どうして、・・・・。

そこのお話が好きだった方がいたら申し訳ないのですが、子供のエピになった途端に拷問レベルでつまらなくなってしまったんですよね。そこのトンネルを抜けたら面白くなるんだと信じて見続けてしまいましたが、とうとう気持ち的にも(お話もね)復活しませんでした。

 

でも最終回に龍一も結婚が決まるし、それも親と同じで歳の差がある結婚と言うのも良かったです。

明美さんも結婚できて良かったし、だけどこの人たちには子供の数が少なくて、みんなでひとりの子供をかわいがると言う感じだなと思いました。だからなんだと言うのではありませんが、もっとワイワイとしていても良かったような気がしました。

なんか・・なんかな・・・

なんか今の少子化日本を見ているようで辛くなりました。

 

だけど「静かだな、ゆっくりだな」と言う雰囲気を最後まで醸し出していたのは、良かったかもしれません。

 

しかしこのドラマの最終回も、「とと姉ちゃん」の全力疾走以上に爆弾を仕込みましたね。

 

喜代さんの「特別な時」に食べる小豆が出てきました。

あの小豆、戦時中のものじゃなかったかしら。

「むりじゃねっ!?」ってテレビに向かって呟いた方多数と、私推理しましたがいかがだったでしょうか。

 

 

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