森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

母の過去を辿るミニ旅

2019-04-10 09:36:46 | 家族スナップ

4月7日(日)に、母の母校を母と姉とで訪ねてきました!!

本当にはるか遠い昔に、母が通っていた女学校は横浜の山手にあったのです。そう書くと、さる有名な小説のモデルになり全国的に有名なあの女子高を思い浮かべられる方もいらっしゃると思うのですが、そこではありません。

と言ってもな、今の「若い人」はあまり知らないだろうなと思うけれど。

またトップ画像も、母の学校とは違います。

「元町公園」内にある「ベーリック・ホール」のジオラマです。

 

2014年の記事「甲斐の旅《その3》」の冒頭、

>『「変わってしまった。」「変わってしまった」と甲府の街を訪れて、事あるごとに母が言いました。

だんだん私はイライラしてきて、

「むしろ変わらないほうが可笑しいってもんでしょ。なんにも変わらないで昔のままだったら、気持ちが悪いわよ。」と言い放つ・・・

娘というものは、親の、特に母親の老いには鈍感でいたいものなのです。

だけど老いた母にとっても娘はいつまでも子供で、そのように冷たい言葉をうっかり吐いてしまっても子供の戯言にしか感じずに動じないのでした。

 自分の思い出を形成する街は、既に記憶の中にしかないのです。』と書きました。

 

この「甲斐の旅」と言うのは、生前父が最後に叶えられなかった、「もう一度母の(つまり私の祖母)墓参りに行く」と言うものを、皆で代わりに叶えに行くと言うのが目的の旅でした。それともう一つ、皆で父の過去に会いに行くと言うものも含まれていました。父の育った甲府の街を歩き、そして父の母校を訪ねてみる―、そんな旅。

 

その時、私は思ったのかも知れません。なぜ父が生きている間に、同じような事をしなかったのだろうかと。

 

今、私の母は寝込んでもいないし認知症になってしまったわけではないのです。だけど昨年から、坂道を転がり落ちるような急激な老いを感じさせるようになりました。加えて、今年の3月をもって30年以上も続けてきた自治会館の管理の仕事も止めたのです。あまりにも習慣化していたお仕事でしたので、そのぽっかりと空いた部分を埋めるためにも、今度は母の母校を訪れてみる事にしたのです。

 

だけど母の言う言葉は同じ。

「変わってしまった。」!

そして「がっかりした。」だったのです。

 

変わってしまった今を見せつける事は、むしろ残酷な事だったのでしょうか。

 

だけど良かれと思ってしたことを「がっかりした。」と言われては、私にとってもがっかりな事でした。

2014年から5年は経っていて、流石に私も「言い放つ」なんてこともなく、一晩経って、私は母に諭すようにゆっくりと言いました。

「確かにお母さんの出た学校は、そのままの形ではそこにはなかったかもしれないけれど、更地になってしまっていたわけでもないし、マンションが建っていたわけでもないでしょう。ものすごくバージョンアップして他に転移したのよ。そしてそこはまた、ちゃんと違う名前でも学び舎になっているのよ。凄い事じゃないの。
 過去の場所を訪ねても、同じように木造の建物なんか建っているわけもない事で、大事な事は、かつてその空間に私はいたと感じる事なのよ。感じたでしょう、昨日。良かったじゃないの。凄い事よね。楽しかったよね。」

なんだか最後は洗脳 ?

だけど母は言いました。

「確かにそうよね。立派になって残っているのよね。考えてみると凄い事だわ。」

そしてまた「花ちゃんは楽しかった ?」と言うので、

「えっ? もちろん楽しかったよ。」と答えると、

「じゃあ、良かった。」と母は言ったのでした。

 

・・・・・・なんだかなあ。

「母の過去を旅する」企画は、実は第二弾があって、母の疎開した地を訪れると言うものがあるのですが、頓挫しそうです。

母に楽しい、嬉しいと言っていただかなくては意味が無いからです。

 

だけど7日のミニ旅は、けっこう面白かったと思うのだけどなあ。

 

11時に横浜駅で待ち合わせをした私たちは、最初に中華街で腹ごしらえをしました。

ここからはお気楽な写真日記です。

 

 

 

交番のデザインも楽しい中華街。

 

 

 今回の目的地。母の母校だったところです。

 

そのお向かいの教会。今は母は仏教徒だけれど、若い時には憧れてちょっと通ったみたいです。

 

 そして、横浜で一番有名な(たぶん)フェリス女学院。

 

山手の風景です。

 

この後の計画では、「山手十番館」でお茶を頂いて、港に戻りシーバスで横浜駅に戻ると言うものだったのですが、なんと「山手十番館」は貸し切りでアウトでした。

その日は外人墓地が特別公開中。私はそんな特別公開の時に中に入った事があるのですが、姉は未体験。入ってみたいと思ったようなのですが、霊感体質の母から拒否されてアウト。(理由が我が家らしいでしょ・(笑))

「港の見える丘公園」を目指して歩いていた時に、ちょうどバスが来たので、計画はすべてチャラにして、そのバスに乗って桜木町経由で横浜駅に戻り、そこで元町喜久屋のケーキを買って帰りました。

 

だけど1か所はしっかり見たので、私的には満足できました。

上のは姉が買った絵葉書です。

「ベーリック・ホール」は確か、初めて入ったところだと思います。横浜には入れる洋館が「山手資料館」を含めて10はあるかと思います。どこに入ったかどうかは、もう頭の中がごちゃごちゃ。とにかくブログをやっていない時に行ったのだと思います。(やっぱりブログって便利です。)

 

洋館巡りもイイナぁ~♪

そしてやっぱり最後は「花より団子タイム」。実家にて。


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2 コメント

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Unknown ()
2019-04-10 10:06:00
孝行娘さんですね

私は
生きてる間に
そんな思いで
我家族 母、妻、二人の息子と妻の両親で家族旅行をした事があります。
家業の関係でちょっと大袈裟ですが一家揃って食卓を囲むのは元日くらいの我家
父を亡くした一年半後突然そんな思いに駆られ慌てふためいて間に合うかと思いつつ一月前に検索しまくり元日に出発、2日夜に帰宅という一泊旅行を予約して敢行したのは10年前
今年GWに父親の13回忌です。
親父が生きてる間に出来たらよかったのにと後悔しています。
返信する
晋さま (kiriy)
2019-04-11 00:50:34
こんばんは~☆

>親父が生きてる間に出来たらよかったのにと後悔しています。
そのお気持ち、凄く分かります。
どんなに悔いのないようにと、最後の日々を共に過ごしても、どこかしらに悔いの想いが芽生えてしまうのですよね。
だけどそんな悔いの想いが、
>突然そんな思いに駆られ
と、家族旅行を実行させる原動力になったのですよね。

ある意味、お父様からの贈り物なのかも知れませんね。
うちも5月の終わりに父の7回忌なんですよ。

月並みな言い方ですが、本当に月日が経つのってあっと言う間ですよね。
返信する

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