森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

四季の家、往復

2013-05-28 01:17:01 | 父へ

 《風のように人生を通り過ぎていく、その2》

《風のように人生を通り過ぎていく、その1》の続きです。

 

24日の朝、実家にて帰り支度をしていた私は、ふと静かなキッチンに耳を澄ましてしまいました。電気も消され静まり返ったキッチン。

私はある時のある朝の事を思い出しました。

その時も実家に泊まっていた私が夜、何気なく
「家で作ったお饅頭 は美味しいよね。あれ、好きだなあ。」と言ったのです。

すると翌朝、何やらキッチンがワサワサと賑やかな雰囲気。起きて行ってみると、母が早くからあんこをこしらえて、そのあんこを父が小麦粉の皮で包み、お釜型の蒸し器はシュッシュと湯気を出し、ボテボテとした厚い皮の田舎風の饅頭がまさに出来上がろうとしていた所だったのです。

出来上がったお饅頭はもちろん美味しかったのですが、キッチンの扉を開けて湯気でいっぱいのその中で、声掛けあって作業をしている父と母の姿を見た時、私の心はとっても幸せな気持ちに満たされたのでした。

・・・・・・

シーンとしたキッチン。

思わず私は、うううっと泣きました。

過ぎた時代は戻ってこないし戻る必要もないこと。想い出は心の中のアルバムの中に。
だけれどももう二度と同じ幸せはやって来ないのだと思うと、やっぱり思わず涙がこぼれてしまったのでした。

 

24日の金曜日の日は、家に戻り家事やら仕事やらをしました。

実は実家に帰る23日の一日前、友人から突然にお芝居のお誘いが入りました。25日の土曜日に行けなくなってしまった人が居たのでそのチケットが回ってきたのです。御芝居好きの私は、思わず二つ返事で行くとお返事しました。

だけど23,24日の父の様子に、私の心はぐらついてしまいました。「行く」などと言って良かったのだろうかと。

すると姉が、その時間は携帯を切って楽しんで来いと言ってくれました。
お芝居は夜なので、たしかにその時間に家で連絡を受けても動けるのは翌日早朝からになると思いました。

だけどそんな事を考えていた時に、閃いたのです。

 

東京に出るのですから、家に戻らず再び実家に帰ろうと。 

 

このお芝居のお誘いがなかったら、実家往復は私の中にそれまではない発想でした。

自分の生活を守りながら少し離れた所の実家には早々行ったり来たりは出来るものではありませんから。

そして近くに住んでいるわけではないので、親の死に目に会えるかは分からないことだと思っていたのです。

次に姉から電話をもらったら、それはいつもの楽しいおしゃべりでは無く父の亡くなった知らせであっても、こればかりは仕方のない事だと覚悟もしていました。

山本周五郎の「日本婦道記」の中には、非常に印象深い臨終のシーンがあります。それは妻の臨終に夫が「もう別れは済ましてある。」と立ち会わないと言うシーンなのです。物語というのはいついかなる時にどのように自分を支えてくれるか分からないものです。
臨終に立ち会うということよりも、別れを済ますということはもっと大切な事だなと、私には思えたのでした。 

 

だけどそう思っていたのに、それでも出来るならばその最後の時に私は立ち会いたいと願っていたのかも知れません。

人にはそれぞれ役割があるのだと言いますが、今、それを思ってみると本当にそうだと思えるのです。

私には私のやるべき事があったように思います。

 

別れは済ましたと24日に帰ってきた私。予定外のお芝居のお誘い。そして再び横浜に。

私の頭の中に、またも父の「全てうまく行った」という言葉が響きます。

 

父は前の記事「四季の家で」を姉の家でアップした数時間後に亡くなりました。
私は父の臨終に立ち会う事が出来たのでした。

 

(まだしばらくこのテーマです。) 

 

コメント (4)
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