人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

神の審きとしての死 K・バルト

2019年03月09日 | お気に入りの言葉

   われわれは、やがていつか、葬られるであろう。
やがていつか、一群の人々が、どこかの墓地に出かけていくであろう。
そして一つの棺を埋めて、皆家路につくであろう。
しかし、一人だけは帰らない。そして、それが私であろう。
人々が私を、生きた人間の国では余計な邪魔ものとして葬るということーーそれが死の印章であろう。
・・・人生とは何であろうか。それは、墓に向かって急ぐということである。
 ・・・これが「葬られ」ということである。
また人間が墓の中で忘れられるということが、人間に対する審きである。
埋葬され・忘れられるということより他には、罪ある人間にはいかんともし難いということ、それが、罪に対する神の答えである。

きょうを生きる言葉一日一篇より