小さくされること
「宝のある所には、心もある」、そうです、
何かあるものに価値を認めて、それを宝のように大切にするなら、
心は常にそれに注がれ、そしてそれに支配されていくでしょう。
支配されているということが、それを宝にしているということなのです。
宝にしているといいながら、それに心が支配されていないなら、それは嘘です。
そして、その宝が大きいものであればある程支配され方も大きく、従って、自分自身は次第に小さくされてゆくでしょう。
信仰とは神を宝とすることです。自分が小さくされることがなければ、それは嘘です。
藤木正三著 断想 神の風景 人間と世間より