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人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない

2012年04月22日 | 聖書

   ヨハネによる福音書8:23-25
イエスは彼らに言われた。
「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。
あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。
『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。
「それは初めから話しているではないか。

 イエスは言われました。
『わたしはある』ということを信じないならば、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。


悪魔も聖書のことばを使う 一部のことばだけで判断することは危険

2012年03月15日 | 聖書

   マタイによる福音書 4:5-7
  次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』
と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。

  悪魔も聖書のことばを使う。
一部のことばだけで判断することは危険、聖書全体で判断することが大切。

 


渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい

2012年03月04日 | 聖書

   ヨハネによる福音書7:37-38
 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。

 人はパンのみで満足するものではなく、霊の渇きを覚えている。
イエスを信じると、内から生きた水が川となって流れ出るようになる。


自分の栄光(誉れ)を求める者 神の栄光を求め者

2012年02月12日 | 聖書

   ヨハネによる福音書7:18
 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。
しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

 自分の栄光(誉れ)を求める者は、自分の知恵を語り、真実とは言い難い。
自分をお遣わしになった方(神)の栄光を求める者は真実な人である。
人の栄光を求めずに、神の栄光を求めるのがクリスチャン。


汝の敵を愛せよ 敵の為に祈れ 

2012年01月31日 | 聖書

 マタイによる福音書5:43-47 
 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

ルカによる福音書23:34
[そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」] 
 
  敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
敵を愛するということは、無条件で全ての人を愛せよということ。
しかも、その敵のためにも祈れとは。これ以上崇高な教えはないと思う。
そして、イエスはこれを実行された。自分を迫害し十字架に掛けた敵に対して
「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
と祈られた。


祈りの効果が現れるまでには時を必要とする 失望せずに常に祈ろう

2012年01月28日 | 聖書

  ルカによる福音書18:1-8
 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬(たとえ)で教えられた。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、
『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、
『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、
彼女のためになる裁判をしてやろう。
そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
まして神は、日夜叫び求める選民のために、
正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。
あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。
しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
 
 そよ風のように生きる-旅ゆくあなたへ バレンタイン・デ・スーザ著より
  祈りの効果はすぐには現れません。
行為の結果はお礼の言葉や金品ですぐ返ってきますが、
種をまいて花が咲くまでに
時間がかかるように、
祈りの効果が現れるまでには時を必要とします。


被造物は造られたか、偶然にできたか

2012年01月27日 | 聖書

   ローマの信徒への手紙1:20
  世界が造られたときから、目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。

  神の力と神性は被造物に現れている。
太陽や月の規則正しい運行、植物、動物、人間等などの驚異の世界は、
偶然にできたとは思われない。
造り主がおられるとしか思われない。


イエス・キリスト以外では救われない

2012年01月20日 | 聖書

 使途言行録4:12

 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間にはあたえられていないのです。

  イエス・キリスト以外では救われない。
他の宗教では救われない。
これは他人からみれば偏見にみえるだろう。


「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」

  救われる道は、幾通りもあるとこれなら万人受けするかもしれない。
しかし、一つの道しかない、これが私の信仰である。

あらゆる宗教を学んで、キリスト教を選んだわけではない。
学んで、比較して選ぶことは不可能だと思う。

   結局は出会いであると思う。この信仰を与えられたのは神の恵みである。
他の宗教を信じている人も、救いは自分の信じた宗教しかないと思っておられるだろう。
従って、他の人の信仰も尊重するし、逆に私の信仰も尊重して貰いたい。
これが日本憲法で保障された信仰の自由というものである。
救いはこれしかない、他はダメだとなると宗教戦争になる。


人生はため息のように消えうせます、瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります

2012年01月10日 | 聖書

  詩編90:9-12

   わたしたちの生涯は御怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

生涯の日を正しく数えるように教えてください」という祈りは、

人生は一瞬であることを、肝に命じることであると思う。

いつ逝っても良いように備えをしておきたい。


死んだらどうなるのだろうか、しかし場所は用意されている。

2012年01月08日 | 聖書

 ヨハネによる福音書14:1-3
 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。
 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。
もしなかったならば、わたしがそう言っておいたであろう。
あなたがたのために、場所の用意をしに行くのだから。
 そして行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」

 イエスが十字架にかかられる前に、弟子に語られた言葉である。 
私は死んだらどうなるのか?
いくら信仰があっても、残念ながら不安である。
 しかしイエスは「あなたがたは、心を騒がせないがよい。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。・・・・・場所は用意しておく」と言われた。


生まれる時、死ぬ時・・・・・出来事にはすべて定められた時がある

2012年01月07日 | 聖書

  コヘレトの言葉3:1-8 
 何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」というのは運命論ではないと思う。
生まれる時も死ぬ時などなど、究極のところ、いつかは分らぬもの。
しかし、すべては神の支配下にあるということではないか?
そう思えば、心やすらかになれる。


人は死んだ後に裁きを受けることが定まっている・・・あなたはこれを信じますか?

2012年01月06日 | 聖書

     ヘブライ人への手紙

 人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている

   コリントの信徒への手紙二5:10

なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。


キリスト教は、一つは、死んだ後に「裁きを受けること」
       一つは、その裁きを、イエス・キリストを信じることで救われる
この二つを信じるか、信じないか? これが最大の問題であるように思う。

 


人の言うことをいちいち気にするな! 聞き流せ!

2012年01月05日 | 聖書

  コヘレトの言葉7:21-22

 人の言うことをいちいち気にするな。
そうすれば、僕があなたを呪っても
聞き流していられる。
あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
あなたの心はよく知っているはずだ。

  私も、他人を呪い、こころない事を言ってきたと思う。
そう思えば、人の言うことをいちいち気にせず、聞き流していられる。


わたしの力は弱いところに完全にあらわれる

2011年12月30日 | 聖書

 第二コリント12:9

  主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

 そよ風のように生きる バレンタイン・デ・スーザ著より

 弱い人間だからといって、悲観することはありません。
足りない部分にこそ、神様に来ていただく場所があるのではないでしょうか。
強い人の中には、神様の恵みを素直に受けつけない人がいます。自分の力を過信しているからです。

 弱い人間だからといって、悲観することなく、強い人間だからといって誇らぬように。


何をほめたたえ、何をあがめているか?

2011年12月28日 | 聖書

 詩篇148:13

 彼らに主の名をほめたたえさせ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。

 天地万物を治められる主。

その主をほめたたえよ。

その主だけをあがめよ。と言われている。
 

 主よりお金、名誉、地位、仕事、人、ひいきのスポーツ選手、スター等などをあがめやすい者。反省。