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人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

人生はため息のように消えうせます。

2013年10月03日 | 聖書

   あなたの怒りにわたしたちは絶え入り
あなたの憤りに恐れます。
あなたはわたしたちの罪を御前に
隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
わたしたちの生涯は御怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

詩篇90:7-12


死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。

2013年09月10日 | 聖書

人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。
人が見ることは
知恵ある者も死に
無知な者、愚かな者と共に滅び
財宝を他人に遺さねばならないということ。
自分の名を付けた地所を持っていても
その土の底だけが彼らのとこしえの家
代々に、彼らが住まう所。
人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。
これが自分の力に頼る者の道
自分の口の言葉に満足する者の行く末。
陰府に置かれた羊の群れ
死が彼らを飼う。朝になれば正しい人がその上を踏んで行き
誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。
人に富が増し、その家に名誉が加わるときも
あなたは恐れることはない。
死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず
名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。
命のある間に、その魂が祝福され
幸福を人がたたえても
彼は父祖の列に帰り
永遠に光を見ることはない。
人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。

詩篇49:10-21


サタンが彼に入った。

2012年12月16日 | 聖書

ヨハネによる福音書
13:2
 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
13:27
 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」

ユダにサタンが入り、裏切りが行われた。
あの人がと思う人が、思わぬ犯罪を犯しマスコミ取り上げられることがある。
「魔がさした」という言葉もあるが「サタンが入った」とも考えられる。
サタンが入らぬように祈りたい。


弟子の足を洗うイエス

2012年12月14日 | 聖書

ヨハネによる福音書13:3-5

 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

イエスが活動された地域では、宿についたら足を洗う習慣があった。
その時代、足を洗う仕事は、奴隷がしていた。
それを師であるイエスが弟子の足を洗われた。
ここに、イエスの象徴的な姿があると思う。


むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。

2012年08月08日 | 聖書

エレミヤ書9:22-23
 主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。
力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。
むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい
目覚めてわたしを知ることを。

知恵、力、富等などを誇ることなく
キリストを知っていることを誇れるように。


盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか

2012年08月05日 | 聖書

ヨハネによる福音書11:32-37
マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
イエスは涙を流された。
ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

 我々もユダヤ人の様に、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」
と言いやすい。「このような不幸、災難を起こさないようにできなかったのか」などなど
しかし神の時、神のみこころ、がある。この後、ラザロのよみがえりがある。


神の時、神のみこころ

2012年07月22日 | 聖書

   ヨハネによる福音書11:1-6
   ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。
 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。
 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。

   イエスは、親しくしている人が「病気だ、助けてくれ」と言われても二日間動かれなかった。
すぐに来て助けてくれればと親しい人は願うが、そうはされなかった。神の時があるということ。
我々の思いと、神の思いは違う。しかし最終的には、我々には最善の結果となる。

 


自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。

2012年06月03日 | 聖書

   コリントの信徒への手紙一8:2
  自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
   ヨハネによる福音書9:41
  イエスは言われた。
「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。
しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

謙遜が大事であると思う。
「自分は何か知っている」「自分には見えている」と思うときは要注意。

 

 


わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない

2012年05月20日 | 聖書

  ヨハネによる福音書8:50-51
  「わたしは、自分の栄光は求めていない。
わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。
はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」

   イエスは、自分の栄光を求めてはおられない。
神の栄光のみを求めておられる。
人は、自分の栄光を求める。
イエスは、はっきり言われた。
イエスの言葉を守るなら、「決して死ぬことがない」と。


真理はあなたたちを自由にする

2012年05月13日 | 聖書

ヨハネによる福音書8:31-32.34 
真理はあなたたちを自由にする
 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。

真理とは、福音(十字架、神の愛、復活)である。
自由とは、罪の奴隷、死からの解放。
人はすべて罪人、罪の奴隷である。
イエスの十字架を信ずる信仰により
罪の奴隷から解放され自由になれる


万物はイエスによって、イエスのために造られた

2012年04月26日 | 聖書

    コロサイの信徒への手紙1:15-16
  御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。
つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

 イエスは、神の姿。つまり、神と同一である。
すべては、イエスにより、イエスの為に造られた。