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人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

イエスの誕生に感謝、感謝、感謝

2011年12月25日 | 聖書

 ルカによる福音書2:10-13

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人のあれ。」

 イエスの誕生に感謝、感謝。
あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」


その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます

2011年12月24日 | 聖書

 ルカによる福音書1:46-54 

  そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。そのみ名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振い、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

 マリヤの主に対する賛歌であるが、イエスの性質を良く表していると思う。

 そのみ名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振い、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

 

 


神にできないことは何一つない わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように

2011年12月23日 | 聖書

 ルカによる福音書2:34-35 37-38

 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・・・・・神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 マリヤは、天使から「男の子を産む」と言われた。それに答えて、まだ結婚(男の人を知らない)してないのに「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言った。

 

 天使は、「神にできないことは何一つない」男の人を知らくても聖霊によって生まれると言った。

 そしてマリヤは最後に。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えた。

 神の全能を讃美し、マリヤの謙遜を見習いたい。

 


イエス誕生の予告 クリスマスの始まり

2011年12月22日 | 聖書

  ルカによる福音書1:26-33

   天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考えこんだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。 神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 

  イエスの誕生が予告された場面です。天使がマリヤのところに来て「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げると、マリアは戸惑い、この挨拶は何のことかと考えた。すると続けて、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」と予告された。

 夢のような話であるが、クリスマスの始まりです。


あなたの誇りはなんですか?

2011年12月17日 | 聖書

    コリントの信徒への手紙一1:26-29
 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ところが、神は知恵のある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 これはパウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙で、その当時の教会のメンバーの職業等である。しかし現代にも通ずるところがあると思う。
 自分に誇るもの(知恵、能力、家柄、富等など)があると、選ばれ(信仰を持ち)難く、反対に無力なものは、選ばれやすい。だから、無力なことを悲観する必要はない。

 自分の能力によっては、信仰を持つことはできず、すべては神の恵みである。

 


自分の知恵で神を知ることはてきません

2011年12月16日 | 聖書

    コリントの信徒への手紙1:18-21

 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われた者には神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものとする」。
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。


 十字架の言葉(福音)は、経験的に、わたしたち救われた者には神の力と思われる。
一方、他の人には、愚かな言葉と思われる。
なぜか?これは知恵や知識で理解てきるものではないからである。
(世は自分の知恵で神を知ることができませんでした)
語られた福音(宣教という愚かな手段)を、信じるものにされた恵みに感謝。


生きているのは、わたしではなく、わたしの内におられるキリストが生きておられる。

2011年12月14日 | 聖書

   ガラテヤの信徒への手紙2:20

   生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

  自分が生きるんではなく、内におられるキリストが生きておられる。

私の理想とする生き方である。死ぬまでに、この心境を目標に歩んで行きたい。




あなたは、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣けるか?

2011年12月13日 | 聖書

    ローマの信徒への手紙12:15

 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

 案外むずかしい命令である。泣く人と共に泣くことはできても、喜ぶ人と共に喜ぶことは、難しい(嫉妬のため)。

家族の者の事だと、ともに喜び、悲しむことができるが、他人だと難しい。いかにも、罪深いものだと思う。

ともに喜び、悲しむことができるよう祈りたい。


良いことに心を留めたい

2011年12月12日 | 聖書

  フィリピの信徒への手紙4:8

 すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

 何に心を留めるか(向けるか)。

良いこと(すべて真実なこと、すべて気高いこと、・・・・・・)に心を向けるか。

悪いことに心を向けるか。

これにより、日々の生活は決まってくると思う。

悪いことに心を向けると罪を犯すことになる。

 

 


わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者

2011年12月11日 | 聖書

  ヨハネによる福音書6:53-57 17:3 

 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。

 永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、 あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

 食べ物には、肉の食べ物と霊の食べ物がある。

イエスの肉と血こそ、霊の食べ物である。

これを食べれば、永遠の命と復活が約束される。

あなたにも霊の食べ物であるイエスを是非食べて頂きたい。


貧しくもなく、また富みもせず

2011年12月10日 | 聖書

  箴言30:7-9

  わたしは二つのことをあなたに求めます、わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。

 マタイによる福音書6:24

「だれも、二人の囚人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 

 この箴言を記した人は、二つのことを祈ってます。 

一つは、うそと偽りを遠ざけて下さいということ。

もう一つは、貧しくもなく、また富みもせずに、神を知らないと言うことのないということです。

二つとも、すばらしい祈りであると思います。我々はうそをつきやすく、また、富を願うものだからです。


悪い言葉を一切口にするな

2011年12月08日 | 聖書

  エフェソの信徒への手紙4:29

  悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、

その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

   悪い言葉を一切口にしない様にしよう。

話す時は、聞く人に恵みが与えられるように、

またその人が成長するのに役立つ言葉を、必要に応じて語ろう。

平易な教えであるが、実行するのは難しい。

 


イエスに倣い、愛によって歩みなさい

2011年12月07日 | 聖書

  エフェソの信徒への手紙5:1-2

 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

 神に倣う者となりなさい(イエスに倣うものとなること)。

それは、イエスがわたしたちを愛して、十字架に掛られたように、愛によって歩むこと。

イエスに倣うものとなれ、そして愛によって歩め。非常に重い目標。

神に変えて頂くほかはない。祈ろう。


下品な冗談は、よしましょう

2011年12月06日 | 聖書

  エフェソの信徒への手紙5:3-4

  あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。 卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。

  みだらなこと、汚れたこと、貪欲なこと、卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談は、人が喜ぶ為、口から出やすいもの、気を付けたいものです。


イエスを恥じないように。

2011年12月05日 | 聖書

  マルコによる福音書8:38

 イエスの言葉「神に背いたこの罪深い時代に、

わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、

父の栄光に耀いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」

 私は、少なからず「イエスとイエスの言葉を恥じる者」である。何故だろうか。

イエスの再臨(父の栄光に耀いて聖なる天使たちと共に来る)の時に、

イエスに恥じられてはかなわない。