

十八年前の阪神淡路大震災の起こる、二日前の地元紙を飾った写真です。
この写真の撮られた、14日のほぼ同時刻、わたくしは娘と、久し振りに神戸に出て、この交差点を通りました。
神戸には珍しく、強い雪の舞い散る寒い日でした。
この事が明くる日の記事になり、強く印象に残ったわたくしも、自分のスクラップ帳に切り抜いた程でした。

この三日後に大震災が起こり、元町駅にも甚大な被害が出て、街は倒壊しました。
毎日この駅に降り立ち、浜近くのオフィスに通いました。
神戸一の繁華街、三宮の状況にはかろうじて堪えた涙も、元町駅を見た時はだめでした。
青春そのものの街でした。
大丸百貨店、元町商店街、メリケン波止場、大正建造物の銀行のオフィス。
傷つき、壊れ悲鳴を上げていました。
「Jさん、もう帰ろう」ふたりはそれ以上の思いに耐えられず、車を走らせました。
前に「遺体搬送車」と書かれた車が行きます。
嗚咽を堪えるのに必死でした。
火の手の上がった、長田の叔母の家はかろうじて無事でした。
あれから十八年、当時十七歳だった娘より年月が進みました。
昭和の美しい繁栄の街だった神戸も、すっかり容貌を変えました。
オフィスも無くなりました。
近くに行くと、あの建物の通用口から若かった私が飛び出して来そうな気がします。
困難を乗り越えられる多くの方の思いに寄り添う日、犠牲になられた方々に深く近づく日だと考えています。


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