きこえない子の心・ことば・家族―聴覚障害者カウンセリングの現場から河崎 佳子明石書店このアイテムの詳細を見る |
今日の午後、日本手話通訳士協会第6回研究大会の記念講演で著者の河崎佳子(よしこ)さんの講演を聴いて、たいへん勉強になったので早速家に帰ってから以前に買って積ん読状態だった本書を引っ張り出して読みましたが、とても良かったので一気に読んでしまいました。
もともと士協会の機関誌「翼」に連載された文章を一冊にまとめたものなので、専門家向けの研究書ではなくエッセイ集といった感じです。聴覚障害者カウンセリングを受診するようになった様々な聴覚障害者の横顔が臨床心理士・河さんの目を通して描かれています。
Amazonの書評を読むと、事例報告になっていない、原因・結果が書かれておらず対策が示されていない、親への支援が書かれていない、難聴者・中途失聴者が描かれていないなど問題点が指摘されたりもしています。
今日の講演も話の一つ一つは初めて聞く僕にとってとても興味深いものばかりだったのですが、全体を通してどういう主張だったのかというとちょっとつかみにくかったかもしれません。また「対策」という点でも、様々な事例のそれぞれに合わせた柔軟な対応が求められるというような話の印象でした。そもそもシンプルな「答え」があるわけではない分野なのかもしれません。
ただ、手話通訳士を含む広く一般の聞き手に、「聴覚障害者心理臨床」とはどんな課題を抱えた聴覚障害者が訪れるところなのか、そしてその現場における手話通訳者(士)の役割とは何なのか、カウンセリングを必要とする聴覚障害者に対する手話通訳で留意すべきことは何なのかなどについて、経験のない人でも分かるようできるだけ(架空の)事例に基づきお話をしていただいたということなのだと思いますし、この本もプライバシーに配慮した結果として単純な「事例報告」とはなっていないのだと感じました。
一方で、この本も今日の講演も「口話教育で育てられたがゆえに思春期になってゆがみを生じカウンセリングを必要とするようになってしまった聴覚障害者」という視点が目立ったので、それをステレオタイプにとらえてしまうと、それはそれで「お節介好きな手話通訳者」をさらに増長するような心配も私個人としてはしてしまいます。
今日の講演を聴いた聴者の手話関係者(当然私自身を含む)が、今後ちょっと話の分からない聴覚障害者を見つけたらすぐに「きっと子どもの頃の親子関係に原因があってストレスフルなのよ」などと(私も)決めつけてしまいかねないように感じたのです。
「手話通訳者とカウンセラーが別途相談したい時でも聴覚障害者本人の了解を得た上で行わなければならない」「手話通訳を介したカウンセリングの環境を本人と一緒に整えていく作業自体が治療につながる」というお話はとても勉強になりましたが、そうした「手話通訳士にとっての心理臨床場面での手話通訳行動規範」的なお話と、「カウンセリングを必要とするような聴覚障害者の実態」についてのお話を区別していただけた方が良かったかな・・などど書きながら私自身のこの文章が本の中味のことと今日の講演内容に関することがごっちゃになっていて実にわかりにくいですね。
この本に関して言えば、あくまでもエッセイ的内容、つまり聴覚障害者心理臨床通訳マニュアルではないことに十分留意した上で、多くの手話通訳者・士に是非読んでおいていただきたい内容です、ということになると思います。
そういえば昨日の夜見たNHK教育テレビの「きらっといきる」という番組で「アスペルガー症候群」の女性がずっと生き辛さを感じながら育ってきて22歳になってやっと「アスペルガー症候群」だったと分かりほっとしたというのを放送してました。親子の間に心を通じ合えるコミュニケーション方法がもっと早くに確立されていたなら・・という意味で何か通ずるものがあるように感じました。
ただ、私は近頃、何でも病名や症候群と名付けてそれで本人も周囲も納得してしまうようなのに何か引っかかりも感じるのです。それは私の中に「生き辛さ」の体験がないからそんなことを感じるのかもしれませんが・・・。聴覚障害者の課題も「口話か手話か」ではなく、「聞こえないと生き辛」くさせている社会の有り様を変えないと「手話で育てばバラ色の人生」ともいかないと思うのです。これも心理臨床の問題とごっちゃにしてはいかんのかもしれませんが・・・。普通のサラリーマンやってると聴覚に限らず「障害者」の存在自体が「無」というような社会の実像ばかりぶち当たるので「心理」という個人の面からのアプローチに、問題を聴覚障害者個人の問題に矮小化させるような危惧を感じるというのか・・・話が散漫になってしまってうまく整理できなくなってしまいました。スミマセン。