木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

国立情報学研究所市民講座・影浦 峡先生講演会

2010年06月03日 23時07分16秒 | sign language
国立情報学研究所市民講座を聴いてきました。
講師は、影浦 峡さん(東京大学教授)
タイトルは「多言語世界の扉を開く翻訳技術 ―人間の翻訳と機械の翻訳は何が違うのか?―」
講演概要には、「コンピュータはどこまで人間の言葉を翻訳できるのでしょうか?
先端技術を用いた機械翻訳の具体例を紹介しながら、機械翻訳の背景にある考え方と人間の翻訳との違いや共通性、そして人間がより良く翻訳するためのアイディアをご紹介します。」とのことでしたが、めっちゃ面白い講演でした。
今日の講演はいずれ同研究所ホームページの「市民講座アーカイブ」のコーナーから講義映像(オンデマンドストリーミング配信)として見ることができるようになるそうです。それだけでも凄いですよね!さすが「情報学研究所」!
私が今日の講演で一番感激したのは、
(1)「翻訳とは、欠落を補うためのメカニズムではなく、人間の潜在的な能力を引き出すため環境を整えること」=多言語バリアフリーなんだというポイントでした。
そもそも最初から
(2)X文Y訳(英文和訳など)は言語に関わる行為だが、翻訳はいささかも言語に関わる行為ではない。心をどう扱うかという行為なのだ。
などと過激なことを話されるのです。そもそも「言語」ってのは「日本語」って誰も見たことがないでしょ?とおっしゃる。翻訳の対象となるのは「言語」じゃなくて「言語で表されたもの=言語表現」「テクスト」なんだって!明快ですよねぇ~。そうなんだよ和文英訳(日本語文手話訳)じゃダメなんだよなぁ~そこが難しいのだ。手話通訳も「(音声日本語で話された)何を言いたいか」を対象者に「そういうことを言いたいんだ」と(視覚言語的に?)納得してもらうことなんですよねぇ~。
中盤は「機械翻訳」のお話。機械が困るのは(a)「太った山本さんの猫」と言った場合に太っているのは山本さんか猫かという判断、とか構文だけでは区別できないような次の文
(b)He went to the bank and got the money.
He went to the bank and picked up morels.
(前者は「銀行でお金を下ろす」後者は「土手でアマガサダケを採る」)などが紹介されました。
(3)機械翻訳は「言語」(言語学)に関わるプロセスだけど、翻訳は①聞き手の属性(中学生、小学生、研究者、翻訳のプロ、日本語を母語としない方)に合わせることができるし、そもそも②「言語表現」は歴史的、社会的な存在なのだ。ここんところは図もあったんですが難しくて、「翻訳」っていうのは、原テクストを語彙や文法規則や用例にそって対象言語のテクストに置き換えることじゃなくて、原テクストの位置に対応した位置を翻訳テクストに与える行為なんだぜ!
いいかえると「翻訳」とは、翻訳した文書の歴史的社会的な位置を定める意志決定であり、「機械翻訳」は単なる「言語の計算」に過ぎないとのこと。そうしたら日本語対応手話による手話通訳も「言語の計算」に過ぎないって言えるのかも!などと考えてしまった。
さらに後半はすごかったです。
(4)翻訳ってのは結局は、コミュニケーションの原理に関わる問題であって、翻訳対象側に翻訳文書を位置づける既往文書群がない場合は、個別的には(注)を付けるしかなく、全体としては「未来に向かってゆっくりと時間をかけて慣れていくこと。それによって文化は混ざり合う」のですよ!
私の説明ではわかりにくいだろうけど、ろう文化と聴文化ってちゃんと翻訳できるんだけど、お互いの文化に対する理解が今はまだ浅くて(注)が必要ですよねぇ~。
確かに、ろう文化(日本手話)にあって聴文化にない日本語(日本手話の概念)が、これまでテキスト化されてこなかった(手話教本に載ってない)ことが、今の手話学習者の「手話コミュニケーション力の低迷(いつまでたってもろうの手話が読めない)」の根本原因ですよねぇ~なんてことに思い至りました。もっと(注)が必要だったんですね。でも手話のテキストは日本手話→日本語という流れと逆な(日本語をいかに対応的に手話に置き換えるか)って視点から作られてきたからなぁ~。
最後は「機械翻訳」に未来やいかに?って話になって、
(5)人間と機械(インターネット翻訳エンジンなど)が協力し合うことによって人間が(消費者・商品としてでなく)参加者として、ゆっくりと将来に向けてコミュニケーションを成立させることが大切なんだというお話でした。そのために影浦先生たちは「みんなの翻訳」というサイトを立ち上げているそうです。
ホントに面白い講演でした。家に帰って早速影浦先生の『子どもと話す 言葉ってなに?』をAmazonで注文しちゃいました。
子どもと話す 言葉ってなに?
影浦 峡
現代企画室

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【追記】
人の講演の受け売りでまた調子のいいことを書くのですが、私たちの手話通訳は「機械翻訳」レベルで終わってないか?大きく自省する必要があると感じました。また、先日木村晴美さんのブログで提起された「No.158 ■日本語対応手話で話す聴者への素朴な疑問」のことも思い出しました。それは日本語対応手話が問題だという以上に「日本手話を話すろう者(文化)が眼前にいるにも関わらず日本語対応手話で『分かってもらえたつもり』になってしまう(なぜなら自分の声は聞こえているから、自分も聴者も分かってしまう、そしてろう者のみ分からないと言うことから(無視してるつもりはないだろうけど)意識をそらして(はぐらかせて)しまっているという状況に陥ってないだろうか。
 木村さんは私たちに問いかける「改めて伺いたい、あなたはその日本語対応手話がろう者に伝わっていると思って使い続けているのだろうか。」
 機械翻訳の特徴は「相手がどんな人か(小学生か中学生か研究者か非ネイティブかなど)に関わらず一つの翻訳しか出せない。」とのこと。もっと言語バリアフリーな意識を研ぎ澄まさなければならないと思う。
【追記2】
この市民講座にはPC要筆と手話通訳が付いていましたが、最初に出てきた手話通訳の女の子は講演者の「早口(かつ音響の関係で聞き取りにくそうだった)」「難解な(初めて聞く)テーマ・内容」そして「ユーモアのある語り口(まじめな話をしているかと思いきやふとジョークが混ざってる)」にかなり苦労されていました。何人かろう者が参加しておられたようですが、字幕付きの手話通訳は辛いですよね。「辛い」って手話通訳者にとって針のむしろだという意味ですが・・。ろう者の立場から見たら・・見るに忍びない?あるいは怒りさえ通り越しちゃう・・なのかな?
コメント (3)
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ラーメン20_陳麻家「担々麺・麻婆丼セット」

2010年06月03日 18時16分39秒 | food
会社のすぐ近くにあるのは知っていたのですが辛いのは得意でないので来たことありませんでした。今日はこれから国立情報学研究所の市民講座を聞きに行くので途中にあるこのお店に入ってみました。担々麺って辛いんですけど挽き肉を残らず食べようと汁も全部飲んじゃいますよねぇ~!って私だけ?
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第58回全国ろうあ者大会in島根 開会!

2010年06月03日 00時24分10秒 | sign language
ついに第58回全国ろうあ者大会in島根が開会しました。
山陰中央新報の記事はこちら
私も去年のお礼というのも変ですが、全国大会開催の苦労を知ってる身として島根の皆さんのがんばりをこの目で確かめねば!と土曜6月5日から島根県松江市へ行く予定です。今年は「労働」の研究分科会に参加予定です。
6日(日)は式典・アトラクション。帰ってきてからいろいろ報告することになっているので、デジカメ+簡易ビデオカメラ(vado)なんかも用意してできるだけ映像として持って帰ってきたいと思っています。
大会ブログに書いてあったのですが、来年59回大会は佐賀県なんですねぇ~。
そして再来年は60回記念大会ということで京都なんだそうです。
昨日、手話サークルで教わりました。
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