観るも八卦のバトルロイヤル

映画・ドラマを独断と偏見(?)で、
斬って斬って斬りまくる。
※無断転載は一切禁止。

「私は貝にないりたい」は現在の宮内庁の体質を捉えている

2009年07月25日 | 映画・ドラマ
 フランキー堺主演は観ていない。しかし、この作品が後に伝えられる名作となったのだ。オンタイムで観たのは、所ショージの作品だった。それでもせつない思いが募った。
 なぜ? 敗戦国にだけ、戦犯があるのか? 喧嘩両成敗ではないのか? 所ショージの台詞で、「どこの軍隊のことを言ってるんですか」が今も記憶に新しい。
 だが、現代に生きる、戦争を知らない世代の自分にとっては、アメリカに占領された今が快適ではあるが、今、この時代の影で失われた命。死ななくても良かった人々の犠牲があることは忘れてはならない。
 中居正広、仲間由紀恵はビジュアル的に最高だが、彼らの演技にも注目したい。
 所ジョージが、「牛や馬は嫌です。人間に使われます。自分は、海の底で静かに生きる貝になりたい」といった台詞があった。切ないです。
 誰がどう演じようと、この物語は、戦争の汚点として伝わるだろう。
 そして、戦犯がなぜ敗戦国からだけ出されるのか? 敗戦国は、違約金まで払わされる。そのお金を支払えなかったために。未だ、中国にオリンピックの費用を昨年支払わざるおえなかった我が国。
 どこに幾ら借金してでも中国には払っておくべきだった。何兆円という単位で要求されたのだから。
 歴史には残らない、一般市民の命がどれだけ軽かったのか? これは永遠に語られ続けるべきの、無意味な戦争だった。
 アメリカ人のはとうてい理解出来ない日本の軍隊。これをいいだしたら切りがないが、それでも彼らのいく宛の無い現実の下に、今、この平和があることは忘れてはならない。そして、それが、まだ、数十年前と言う事もだ。
 今回の処刑される日本軍上官の台詞聞いた? 「アメリカは規定を無視して一般市民を殺している。その責任は誰が取るのか」。「全責任は自分にある。ほかの者の厳刑を望む」。全くその通り。
 数年前、京都を訪れた際、京都御所は事前の申告制での見学しかできないが、外国国籍なら当日でも可能という馬鹿げた決まりがあり、怒ったね。私は、外国のIDもあるし、外国に住んでいた、だが、「日本国籍は駄目」の一点張り。
 あり得ないでしょう。税金払ってるしかも国民には駄目で、縁もゆかりも無い、文化も理解していない外国人はOK。って。早々、京都府に文句を言ったが、「宮内庁の管轄」とかで、宮内庁相手に喧嘩だよ。
 「じゃあ、なんですか、ポツダム宣言にそう書いてあったのですか。マッカーサーがそう決めたのですか、我々は敗戦国民だからですか」。「ネットから申し込みが出来る」と言うので、「国民全員がネットしてるのか。ならば、年寄りや子どもは御所を見てはいけないのか。第一、日本人で日本に住んでいても、京都になどそう容易く行けるものではない。それを、目の前で英語話してるだけで、案内され、国民が追い返されるとは何事だ」。
 そしたら、宮内庁無視を決め込むから、朝昼晩、メールしたね。結果、「外国在住の方には今後考慮を考えます」だって。そういう問題じゃない。なぜ、税金払ってる国民が予約無しだと追い返されて、外国籍の人は入れるのか? ってシステムがおかしいんだってば。宮内庁よ、お前らの生活を支えてるのは誰だかよく考えろ。
 これもみな敗戦国だからなのか?
 と、この映画を通して、言いたかった理不尽さが、形を変えて未だ生き続けるってこと。
 ばっかしゃないの。京都府。御所の事務所の職員なんてさ、まあ、英語出来るから配置されてそれが自慢なんだろうけど、外国人にはすげー、こび売ってて、日本人にはてんで感じ悪いでやんの。
 あーあ。折角の京都旅行が台無しだわな。最初から、英語で話せば良かった。それとも、広東語か中国語で話して日本語分からないふりしてやれば良かったな。中国語は通じるかもしれないがs、さすがに広東語話せるスタッフはいないだろう。今度試してみようっと。こういうことのためには労力おしまないよ、わたくし。
 英語に弱いってのも、敗戦国のコンプレックスだよね。
 そして、「私は貝になりたい」。もはや中居だろうが仲間だろうが、どうでもいいのだ。この事実をどう捉えるかだ。それを分かりながら、熱演した両氏には拍手を送りたい。