かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

H23もうりょう・盆踊り

2011-08-14 13:49:53 | 田舎の生活
今年もお盆がやってきた。
昨日は午後3時から、この1年間に亡くなられた方を供養する“もうりょう法要”が行われ、



夜8時からは盆踊りが行われた。



ほぼ満月のもとで。
私も伯母の供養、友の供養にと踊った。

地区の盆踊りは、レコード(今はCD)の民謡と“口説き”による昔踊りがある。
この“口説き”の文句は、おそらく地区の歴史か伝承の類を語っているのだろう。
というくらいに思っていたのだが、
何を語っているのかずーっとわからないままでいた。

ところが、昨夜口説きの文言を書いた紙(歌詞カードといったところか)をたまたま見て驚いた。
2種類あるようで、1つは明治初期にこの半島に夏みかんの栽培を始めたパイオニア宇都宮誠集さんの生涯を語ったもので、『橙口説き』というもの。
当地区の方ではないが、まあこれなら納得がいく、と思った。
そして、驚いたのはもう一つのほう『兄妹心中』という口説きである。
 世にもあわれな兄妹心中
   ところは京都の西陣町で
   兄は二十一その名は文平
   妹十九でその名はお京
      ・・・・・・・・・・・・・
というものだ。

この『兄妹心中』は、近江地方に伝承があるようで、
それによると、兄の名は紋兵衛、妹はおきよ となっている。
また、あの山崎ハコ(若い方は知らないだろうが)も同名のタイトルで歌っている。
こちらは、舞台は京都西陣町なので、当地区の口説きと同じ場所である。
が、兄がモンテン、妹がオキヨとなっている。
当地区の口説きも含めて、場所や兄妹の名前に多少の違いはあるけれど、ストーリーは全く同じである。
なんで、こんなドロドロ話が、
しかも、当地区とは縁もゆかりもない話が、
地区の盆踊りに使われるようになったのか知る由もない。
哀れな兄妹を供養しようというのであろうか。

それにしても、こんなドロドロ話の口説きで、
♪ ヤッター ヨーホイ ヨーホイ・・・♪
と踊っているのである。
長年の謎が解けたと同時に、
私は腰が抜けそうになった。




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高温注意報

2011-08-12 13:12:12 | 田舎の生活
朝からピーカン
太陽ギラギラ 



あづい~~ 
外に出る気力が奪われる。

窓にはカーテンの代わりにアルミシートをかけている。



部屋の中は暗くなるのだが、これはかなりの効果がある。
みなさん 熱中症に気を付けて下さい。


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お墓調査 その7:もう少し夫婦墓をみる

2011-08-10 12:14:32 | 田舎の歴史
前回、夫婦墓を紹介しましたが、
奥さんに先立たれて、後妻をもらった場合はどうするのだろうか・・・
心配になるところです。(私だけか?)

調べてみると、この場合の戒名の刻み方は、正面向かって右側に夫の戒名、真ん中が先妻の戒名、左側が後妻の戒名の順で刻まれるそうで、
真ん中に夫の名前を刻んではいけないのだそうだ。
とはいえ、後妻をもらうかどうかはわからないわけで、
奥さんが亡くなって墓石を造る場合、左側のスペースの空け方が難しいのではなかろうか。
それとも、奥方を亡くした時点で旦那が墓石を作るということは、「再婚はしないぞ!」ということになるのだろうか。

残念ながら、地区の共同墓地では3名の戒名が刻まれた墓石は見かけていないので、
是非見てみたいものだ。

と思っていたら、
その後、見つけた! 

この場所は、もう誰もお参りする人はいないようで、草木が繁茂し荒れている。


敷地を仕切る塀もない。
で、草を刈って、心静かにみてみると、
右側面には3人の没年が刻まれている。


明治40年12月23日、明治38年3月21日、明治44年9月26日
「えっ?」 
7年間で3人が亡くなっている。
それぞれの死亡年月が誰なのかわからないが、旦那、最初の奥さん、後妻さんにしては、少し変である・・・、

ということで、反対の左側面を見てみると、


俗名は「長太良、ツヨ、フジエ」で、男1名、女2名になっており一見夫婦かと思えるのだが、
その上に刻まれた享年はどう見ても、2才、2才、4才としか読めないのだ。
どうやら再婚した夫婦墓ではなさそうだ。

改めて正面の戒名を見てみると、「○○信士・○○信女」ではなく、
「○○子・○○女・○○女」であった。


気の毒なことに、3人の子供を幼くして立て続けに亡くされたようだ。
さらに、その後わかったのだが、この戒名は単に「子・女・女」ではなく、
その上の一文字を合わせて、「孩子(がいし)・孩女(がいにょ)」という位号のようで、
「童子・童女」と同じように、幼い子供につけられるようだ。
なるほど、3名とも同じ漢字「孩」がつけられている。

ということで、これまでのところ3名の戒名が刻まれた夫婦墓石は見ていないのだが、
ふたつ並んだこちらの墓石は、先妻と後妻の墓石のようだ。



右が大正4年に37才で亡くなられた先妻で、
左が昭和19年に59才で亡くなられた後妻さんのようである。
それぞれ「○○妻テル」、「○○室トリ」とあり、旦那の名前(○○)が同じなのだ。
余談ではあるが、「妻」と「室」をなぜ使い分けたのであろうか?
墓石を見ていると、「妻」という表記より「室」という表記が圧倒的に多いのだが・・。

余談ついでにもうひとつ、
墓石に刻まれた女性の名前を見ていると、
江戸末期から明治時代(あるいは大正)に生まれた方は、すべてカタカナである。
しかも、ほとんどが二文字。
そして、江戸時代に亡くなられた方の名前は、ひらがなが基本のようである。
男の名前はすべて漢字が使われているのに、女性の漢字名は皆無である。
(ごくまれに、「○子」などと「子」の字だけ漢字が使われているケースはある。)
おそらく男尊女卑のなせる業ではなかろうか。


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お墓調査 その6:夫婦墓をみる

2011-08-09 12:14:16 | 田舎の歴史
近年の墓石は、「○○家之墓」というものが圧倒的に多い。
これは合理化だろうと思うのだが、
少し古い墓石では(昭和前半頃まで?)、基本的に個人墓のようである。
だから一つの墓敷地にたくさんの墓石が並ぶことになる。



そんな中、チョイ合理化なのか、深い絆なのか、一つの墓石に夫婦の戒名が刻まれているものも多くみられる。
例えば、「○○居士・○○大姉」とか「○○信士・○○信女」といった戒名の連名である。





ところが疑問に思うのは、こういった夫婦墓は誰が・いつ造るのであろうか? 
次代を引き継いだ家長が造ったのであろうか?

夫婦の戒名が連名の場合には、正面右に旦那、左に奥方の戒名が刻まれ、
右側面に旦那、左側面に奥方の俗名・死亡日・享年などが刻まれている。
ということは、先に亡くなった方は墓石ができず、相方もなくなってから墓石ができたのだろうか?
それとも、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作って、片方に戒名を入れ、その後相方が亡くなった時に、もう片方に戒名を入れて完成するのだろうか?

どうやら、夫婦墓の場合は、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作る場合もあるようで、その時点では生きている相方の方は空欄にしておくようだ。
いずれにしても、後を継いだ者が完成させることにはなるのであろう。
ところが時々、旦那および奥方の名前はあるが、どちらかの死亡日・享年が刻まれていないものがある。



この墓石はちゃんと夫婦の戒名が刻まれ、右側面に旦那の死亡年月日・享年が刻まれている。
ところが、左側面をみると(写真)、奥方の俗名は刻まれているものの、死亡年月日・享年がない。
おそらく、旦那が先に亡くなった時点で墓石を作ったままになっているのではなかろうか。

では、その時点ではまだ生きている相方の戒名がなぜ刻まれているのか?

おそらく生前戒名なのだろう。
生前戒名というと、現在では珍しいように思えるのだが、戒名は本来、生前に授かるのだそうだ。
一方、こちらも同じような夫婦墓であり、


右側面に旦那の死亡年月日・俗名・享年がくっきり刻まれている。


しかし、左側面をみると、奥方の俗名はくっきり・堂々と刻まれているものの、
死亡年月日・享年の彫りが明らかに浅い。


旦那は大正6年、奥方は昭和4年となっているので、
おそらく、旦那が亡くなった時点で墓石を造って、奥方の戒名・俗名もその時に彫り込み、
その後、奥方が亡くなってから、奥方の没年月日と享年を追加したのではないかと思われる。

そして、これはどうだろう。


正面には旦那の戒名しか刻まれていないが、右側面を見ると2つの年代が刻まれている。
真ん中に「慶応4年・・・」、その左に「明治40年・・・」とある。
が、これはバランスからいって、明らかに「明治40年・・・」は後から追加したものだと思える。

そして、左側面をみると、


こちらも、旦那の俗名は真ん中に大きく・堂々と刻まれているが(享年48才)、奥方の名前は、その左の空いたスペースに無理やり追加した(享年80才)、という風情で文字は小さくバランスが悪い。
これなどは、正面に旦那の戒名しかないので、旦那が亡くなった時点では、旦那の個人墓という予定だったのだろうが、奥方が亡くなった後急きょ奥方の名前も追加したといったところだろうか。
そうせざるを得なかった何か、後継者に切羽詰まった事情があったのではなかろうか?
そして、気の毒に奥方の戒名はどこにも見当たらない。
おっと! いけない。 
墓石を見ながら、個人家庭の私的な事情にまで踏み込みそうになってしまった。


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施餓鬼H23

2011-08-06 12:14:27 | 田舎の生活
今朝は地区恒例の夏の行事のひとつ“施餓鬼法要”が行われた。
“施餓鬼”とは呼んで字のごとく、餓鬼に施すということである。
今年新盆を迎えられる家庭の代表者がお寺に集まり、和尚に来てもらって供養するというものだ。
1昨年までは、お寺で集まって供養した後、さらに新盆の各家庭へも和尚が出向いて、それぞれの家でもお経上げていたのだが、昨年からは合同供養だけとなった。

和尚が紙に何やら字を書いてくれる。


何と書いてあるか読めないのだが、これは13日の“もうりょう”時に使う旗となるわけだ。

お精霊棚(おしょろいだな)には、御霊具膳(おりょうぐぜん)と手前にキュウリや平べったい団子?などが供えられる。


おそらく、手前の食べ物が餓鬼に与えられるものなのだろう。

和尚の話によると、一般には49日法要が終われば仏様となり、極楽へ行っているのだが、餓鬼道に落ちて苦しんでいることがあるのだと。
その餓鬼道では、亡者が食べ物を口にしようとすると、たちまち炎と化し、何一つ食べることができずに飢え苦しんで、自力ではこの苦しみから脱出できないでいるのだそうだ。
だから、今生きている私たちが、その餓鬼たちと一緒にこの1年亡くなった人に、食べ物や水を与えて救ってやり、極楽へ導いてやるのだそうだ。
地区によっては、大きな皿にたくさんの食べ物を盛って餓鬼に施しをするところもあるそうだ(実際は地区の不特定の方々が食べるのであろうが)。

こうして、和尚の読経が行われ、


その後、参加者一人一人がこの1年間に亡くなった仏様・ご先祖様ならびに餓鬼を供養する。



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コンデジの受難

2011-08-05 11:35:52 | 田舎の生活
一昨日のこと、
車に乗ろうとしてドアを開けようとした瞬間、ケータイに電話がかかってきた。
そこで、話しながら何気なく手に持っていたコンデジと書類を車の上に乗っけたのがまずかった。
通話を終えた時点ではすっかりそのことを忘れていて、そのまま発進してしまったのだ。
 
すると、車後部でなにやら落っこちた音がしたので、バックミラーを見ると、
書類がひらひら・・・・
「やっちまったな!」 

最近歳のせいか、全般に注意力が低下しているなあ。
後悔先に立たず

車を停め、後方に散らばった書類を集め、
「無事でいてくれよ~!」
とコンデジに駆け寄り、恐る恐る拾い上げた。
一見何も異常は無いようだったのだが、
電池パックの蓋が開いて、少し動かすたびに電池がカタカタなっている。
蓋を閉めようとするのだが、うまく閉まらない。 
よーく見てみると、蓋の一部がほんの少し欠けている。
どうやら、そのほんの少しの欠損でロックがかからず、電池が飛び出してしまう。
力ずくで、蓋を押さえると起動するので、カメラそのものは異常がないようだ。
しかし、電池パックがきちんと閉まらないでは、今どきの電気電子機器は使い物にならん。


   【間抜けな姿になった愛用機】

長年愛用してきたオリンパスのコンデジ。 
300万画素という、もうすでに絶滅危惧ないしは絶滅した機種だ。
電池パックの修理なんてやってくれないだろうし、
やってくれたとしても、新品のコンデジが買えるくらいの修理代がかかるのだろうなぁ~。
いっそのこと、レンズでも割れてりゃ すっきりあきらめもつくというものだが・・。
と あきらめきれず、極めてアナログ的力技・その場しのぎ応急処置を施した。



何と痛ましや。
電池パックの蓋にプラスチックのきれっぱしをあてがい、タコ糸でくくりつけただけ。
これで、電池パックの蓋は何とか押さえつけられた。
で、これで撮影はできる。
でも、電池交換のたびにこの仕掛けを解体しなければならない。 
トホッ
カメラ底部の三脚用のねじ穴を使って、雲台に固定する要領で押さえつける、
という手も考えてはいるのだが・・・


不法投棄

2011-08-03 14:22:31 | 田舎の生活
昨夜、地区の方から、漁港にテレビが2台捨てられているという連絡があった。
1台は海中にあったのを拾い上げたと。
その方の話によると、以前にも洗濯機や掃除機などが捨てられていたことがあるという。
地区外からやってくる釣り客が捨てたのであろうと。
昼間だと目立つので、夜釣りにきて捨てていくらしい。
いわゆる “夜陰に乗じて”というやつだ。
ということで、今朝現場へ確認に行った。





やれやれ 全くもって、
自分さえよければよいという、迷惑千万な不届き者がいるものである。

テレビ・エアコン・冷蔵庫・冷凍庫・洗濯機・パソコンは法律でリサイクルされることとなり、有料引取りになってから、こういう不法投棄が急増しているものと思われる。
ゴミを溜めこむ“ゴミ屋敷”も困ったもんだが、
こういう不法投棄も悪質である。

きれいな海を汚すな! 

バカたれに 喝!


【台風の影響か? 昨日から少し波がある】


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今年のセミ

2011-08-02 11:43:59 | 田舎の生活
今年はセミの鳴き声がうるさく感じない。
最近、耳の調子が悪く、耳が少し遠くなってきたなぁ・・・
と感じているので、それで聞こえが悪くなったのだろう。
と思っていたのだが、
昨日夕方のニュースで、今年はセミが少ない。
羽化の時期が遅れている、と報じていた。

その原因は、梅雨時期が暑かったので、セミがいつ地上に出たらいいのか判断に迷っているから・・
というようなことを言っていた。

先日から、我が家の外壁にへばりついている抜け殻。


土の中から這い出た幼虫が、この壁を上って、ここで羽化して成虫として飛び立ったようだ。
その瞬間を見たかったなあ~
と思う。




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