かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
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お墓調査 その10:竿石頭頂部のバリエーション

2011-08-29 14:22:56 | 田舎の歴史
江戸時代後期から明治時代中期にかけては、頭頂部がかまぼこ型に丸みを帯びた角柱型が圧倒的に多い。
前回は、それ以前の駒形板碑型を紹介した。
ではそれ以降、つまり明治中期以降、竿石の頭頂部はどうなっていったのだろう。
これが、大幅なモデルチェンジを見せ、かまぼこの名残など全く感じられない。


頭頂部四隅が緩やかに反り上がり、中央部がこんもり盛り上がったタイプ(「香箱加工」というのだろうか?)が主流になる。
この形状のものは、明治中頃から大正前半にかけて多くみられる。

そして、大正時代の角柱では、頂部が平坦なものも時々見られる(「一文字型」というのか)。


なお、中央部がこんもり盛り上がっているけれど、四辺がフラットで四隅にとんがりのないものもある。


このタイプは数例しかみていない。
しかし、先日宮城県釜石市のある地区で、津波で流された墓石を集めてお盆供養をしている様子がニュースで流れたおり、
その地区では、頭頂部がこのタイプの墓石が大多数だったようにみえた。

それはそれとして、さらにこれらに似たタイプには、中央がとんがっているタイプがある。




このタイプの数は少なく、文化から嘉永年間(1804~1854年)の墓石にみられた。
ということは、これが進化形ではなく、先駆的だったのだろうか?
文化~嘉永年間といえば、前回示した「かまぼこ型」が主流になってくる時代であり、
これはどういうことであろうか?
当時としては、斬新的なデザインだったのではなかろうか?
同時代に全く異なるデザインの墓石があるということは、
特別な方のお墓の可能性がある。

大正後半以降は、下の写真のように、四辺が丸みをおびて中央部はフラットというお馴染みの形状(四方丸面)が多数を占める。


なお、このタイプは江戸時代末期から大正前半にかけても少数ながらみられる。
似たタイプとして、左右2辺だけが丸みをおびたタイプ(隅丸型)がわずかにあった。


なお最近では(昭和50年以降)、四隅がとんがった以下のタイプが再び増えているようだ。


この場合には、ほぼ決まって正面は額縁加工が施されている。

この四隅とんがりタイプが、より強調され・より幾何学的になった立体がこれだろうか。


これは、軍人さんの墓に見られる形で、「トキン・神道型」と呼ばれるようで、
一般の角柱よりも長く、頭部にいくにしたがい細くなっているものが多い。
天を突くような尖った四角錐は、何かを示唆しているように思える。