近年の墓石は、「○○家之墓」というものが圧倒的に多い。
これは合理化だろうと思うのだが、
少し古い墓石では(昭和前半頃まで?)、基本的に個人墓のようである。
だから一つの墓敷地にたくさんの墓石が並ぶことになる。
そんな中、チョイ合理化なのか、深い絆なのか、一つの墓石に夫婦の戒名が刻まれているものも多くみられる。
例えば、「○○居士・○○大姉」とか「○○信士・○○信女」といった戒名の連名である。
ところが疑問に思うのは、こういった夫婦墓は誰が・いつ造るのであろうか?
次代を引き継いだ家長が造ったのであろうか?
夫婦の戒名が連名の場合には、正面右に旦那、左に奥方の戒名が刻まれ、
右側面に旦那、左側面に奥方の俗名・死亡日・享年などが刻まれている。
ということは、先に亡くなった方は墓石ができず、相方もなくなってから墓石ができたのだろうか?
それとも、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作って、片方に戒名を入れ、その後相方が亡くなった時に、もう片方に戒名を入れて完成するのだろうか?
どうやら、夫婦墓の場合は、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作る場合もあるようで、その時点では生きている相方の方は空欄にしておくようだ。
いずれにしても、後を継いだ者が完成させることにはなるのであろう。
ところが時々、旦那および奥方の名前はあるが、どちらかの死亡日・享年が刻まれていないものがある。
この墓石はちゃんと夫婦の戒名が刻まれ、右側面に旦那の死亡年月日・享年が刻まれている。
ところが、左側面をみると(写真)、奥方の俗名は刻まれているものの、死亡年月日・享年がない。
おそらく、旦那が先に亡くなった時点で墓石を作ったままになっているのではなかろうか。
では、その時点ではまだ生きている相方の戒名がなぜ刻まれているのか?
おそらく生前戒名なのだろう。
生前戒名というと、現在では珍しいように思えるのだが、戒名は本来、生前に授かるのだそうだ。
一方、こちらも同じような夫婦墓であり、
右側面に旦那の死亡年月日・俗名・享年がくっきり刻まれている。
しかし、左側面をみると、奥方の俗名はくっきり・堂々と刻まれているものの、
死亡年月日・享年の彫りが明らかに浅い。
旦那は大正6年、奥方は昭和4年となっているので、
おそらく、旦那が亡くなった時点で墓石を造って、奥方の戒名・俗名もその時に彫り込み、
その後、奥方が亡くなってから、奥方の没年月日と享年を追加したのではないかと思われる。
そして、これはどうだろう。
正面には旦那の戒名しか刻まれていないが、右側面を見ると2つの年代が刻まれている。
真ん中に「慶応4年・・・」、その左に「明治40年・・・」とある。
が、これはバランスからいって、明らかに「明治40年・・・」は後から追加したものだと思える。
そして、左側面をみると、
こちらも、旦那の俗名は真ん中に大きく・堂々と刻まれているが(享年48才)、奥方の名前は、その左の空いたスペースに無理やり追加した(享年80才)、という風情で文字は小さくバランスが悪い。
これなどは、正面に旦那の戒名しかないので、旦那が亡くなった時点では、旦那の個人墓という予定だったのだろうが、奥方が亡くなった後急きょ奥方の名前も追加したといったところだろうか。
そうせざるを得なかった何か、後継者に切羽詰まった事情があったのではなかろうか?
そして、気の毒に奥方の戒名はどこにも見当たらない。
おっと! いけない。
墓石を見ながら、個人家庭の私的な事情にまで踏み込みそうになってしまった。
ご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援 感謝
これは合理化だろうと思うのだが、
少し古い墓石では(昭和前半頃まで?)、基本的に個人墓のようである。
だから一つの墓敷地にたくさんの墓石が並ぶことになる。
そんな中、チョイ合理化なのか、深い絆なのか、一つの墓石に夫婦の戒名が刻まれているものも多くみられる。
例えば、「○○居士・○○大姉」とか「○○信士・○○信女」といった戒名の連名である。
ところが疑問に思うのは、こういった夫婦墓は誰が・いつ造るのであろうか?
次代を引き継いだ家長が造ったのであろうか?
夫婦の戒名が連名の場合には、正面右に旦那、左に奥方の戒名が刻まれ、
右側面に旦那、左側面に奥方の俗名・死亡日・享年などが刻まれている。
ということは、先に亡くなった方は墓石ができず、相方もなくなってから墓石ができたのだろうか?
それとも、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作って、片方に戒名を入れ、その後相方が亡くなった時に、もう片方に戒名を入れて完成するのだろうか?
どうやら、夫婦墓の場合は、どちらかが先に亡くなった時点で墓石を作る場合もあるようで、その時点では生きている相方の方は空欄にしておくようだ。
いずれにしても、後を継いだ者が完成させることにはなるのであろう。
ところが時々、旦那および奥方の名前はあるが、どちらかの死亡日・享年が刻まれていないものがある。
この墓石はちゃんと夫婦の戒名が刻まれ、右側面に旦那の死亡年月日・享年が刻まれている。
ところが、左側面をみると(写真)、奥方の俗名は刻まれているものの、死亡年月日・享年がない。
おそらく、旦那が先に亡くなった時点で墓石を作ったままになっているのではなかろうか。
では、その時点ではまだ生きている相方の戒名がなぜ刻まれているのか?
おそらく生前戒名なのだろう。
生前戒名というと、現在では珍しいように思えるのだが、戒名は本来、生前に授かるのだそうだ。
一方、こちらも同じような夫婦墓であり、
右側面に旦那の死亡年月日・俗名・享年がくっきり刻まれている。
しかし、左側面をみると、奥方の俗名はくっきり・堂々と刻まれているものの、
死亡年月日・享年の彫りが明らかに浅い。
旦那は大正6年、奥方は昭和4年となっているので、
おそらく、旦那が亡くなった時点で墓石を造って、奥方の戒名・俗名もその時に彫り込み、
その後、奥方が亡くなってから、奥方の没年月日と享年を追加したのではないかと思われる。
そして、これはどうだろう。
正面には旦那の戒名しか刻まれていないが、右側面を見ると2つの年代が刻まれている。
真ん中に「慶応4年・・・」、その左に「明治40年・・・」とある。
が、これはバランスからいって、明らかに「明治40年・・・」は後から追加したものだと思える。
そして、左側面をみると、
こちらも、旦那の俗名は真ん中に大きく・堂々と刻まれているが(享年48才)、奥方の名前は、その左の空いたスペースに無理やり追加した(享年80才)、という風情で文字は小さくバランスが悪い。
これなどは、正面に旦那の戒名しかないので、旦那が亡くなった時点では、旦那の個人墓という予定だったのだろうが、奥方が亡くなった後急きょ奥方の名前も追加したといったところだろうか。
そうせざるを得なかった何か、後継者に切羽詰まった事情があったのではなかろうか?
そして、気の毒に奥方の戒名はどこにも見当たらない。
おっと! いけない。
墓石を見ながら、個人家庭の私的な事情にまで踏み込みそうになってしまった。
ご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援 感謝