かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

みんま

2009-11-20 12:58:07 | 田舎の生活
この言葉・行事、そして“みんま餅”は聞いたことがあったのですが、詳しくは、何をどうするのか知りませんでした。

ところが、今年はその行事をやらねばなりません。
年内に新仏のあった家の人が、12月最初の巳の日の午の刻にお墓参りをして、新仏の正月を祝うことを「みんま(みうま=巳午)」という、とのことです。
でも、この地区は12月ではなく、なぜか11月に行うようです。

ということで、11月最後の巳の日、つまり本日その行事を行いました。
店に予約しておいた各種餅が、昨日届けられ、そのうちの10個セット(餡入り5個、餡なし5個)を地区などのしかるべき家々に持って行き、
我が家では、お盆の時と同じように小祭壇を組み立て、そこに鏡餅、果物、菓子、お膳を供え、注連縄を飾るなどしました。


【正調ではない可能性大で、独断方式なので真似しないほうがよいです】

近所のおばさんに教えてもらったのは、注連縄を飾る際、小祭壇の両側に柿の枝を立て、それに縛るというのです。
松(門松)ではなく、なぜ柿なのかは不明です。

まあ、この世とあの世はすべてがあべこべになっているようなので、松と柿は逆の関係にあるのでしょうか?

松は冬でも葉が青々(緑ですが)しているのに対し、柿は晩秋から冬場は落葉して、葉がないからなのではなかろうか、と推論しましたが、
本当のところはわかりません。
もし推論が正しいとしたら、わざわざ少しでも葉のついた枝をとの思いで切ってきた私は、大間違いを犯しているということになります。
ありゃりゃ?! 

そして、本日の昼前(巳の刻)に、家に供えていた鏡餅やお飾りなどを持って墓参りに行きました。
 本当はこの地区の方々は、朝早くにお参りするようですが、我が家はネット検索方式で。


【お墓では柿の葉っぱを落として飾り付けました】

正式には墓石の後ろに杖や草履(祭具屋ご用達)も飾るようです。
この他前日には、地区のお寺に重ね餅を供えたり、三崎のお寺に米や果物・菓子を供えたりもするのです。



とにかく、面倒な慣習行事です。

以前は、餅など全部自宅でついていたのでしょう。
もっと大変です。
きっとお客さんも大勢きて、料理の準備も大変だったでしょう。
墓参りも早朝出かけたようです。

この慣習、全国的に点在しているのかと思いきや、愛媛特有のようです。
そして、この行事の由来に関しては、諸説あるようで、
① 戦国時代、高縄半島を中心に勇猛を誇った武将たちの出陣の祈りで、生きて祝えないかもしれない正月を一足早く12月の巳の日に祝ったという説
② 秀吉の朝鮮出兵の帰途、高浜町の海岸で、戦死した兵士を弔うために餅をつき、それを朝鮮に向けて供え、後で皆が竹に餅をさして食べた慣習が残ったという説
が有力だと考えられているようです。

どちらも中予地域が、由来の発端のようです。
もしそうであるなら、中予だけでやりゃあいいじゃないか。
なぜこの南予地域まで普及したのかいな? 
とブータレたくなる、ありがた迷惑的慣習であります。
(ばちが当たるかもしれません・・・)
新仏の正月を祝うというのは良しとしても、あのでかい餅を10個も・・・


でか餅セット

しかも、このでか餅セットが複数の家から届けられるということは十分にあるのです。
えっ! そちらの地域では餅は配りませんか・・・・
そうですかぁ・・・ 


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