かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(68:イタリア編-第六章)

2009-07-02 11:07:38 | 旅行
-4日目(6月25日)-
6時半頃起床。
雨だと思っていたのは、実はホテル内を掃除していた音だったようだ。
朝食に行こうとしたら、ちょうど部屋を出たところでツアーリーダーのAさんに会う。

朝食はバイキング形式です。
レストランでは既にツアーグループの皆さん6名が揃っていた。
皆さん 早起きだなあ。私より年配の方々です。
朝食を済ませ、8時半専用バスに乗りホテルを出発。
少人数ツアーなので、集合時間に遅れはない。
金魚が「○○です。よろしくお願いします」と皆さんに挨拶。

最初はマッジョーレ湖畔の町、ストレーザへ向かいました。
途中の車窓からの風景はさしたることもない。
マッジョーレ湖の船着場に10時到着です。
船着場では、イタリア人の女性ガイドが待っておりました。
今日一日のガイドを務めてくれるとのことでした。

専用ボートでボッロメオ湾の島巡りに出発です。


まず上陸したのがマードレ島
この島は、私邸と庭園がみごととのことでした。
イタリア人ガイドが植物など詳しく説明してくれ、それをAさんが通訳してくれます。



実はこのAさん、イタリア語ぺらぺらで(ツアーリーダーだから当然なのかも知れないが)、それにとてもよく勉強されていて、現地の歴史、自然などについてとても詳しいのです(博学に関しては、この旅行で徐々にわかりました)。

マードレ島全体が庭園といった感じでしょうか、日本をはじめ世界各地から持ち込み植えられた植物が多種多様にあるとの説明でした。
でも、説明を受けても植物に疎い私の頭の中には、なかなか入りません。



なぜか、孔雀がたくさんいました。


私邸(ボッロメオ宮殿。今は別荘か?)の内部へも案内されました。
どの部屋もすごく、20部屋ほどあったでしょうか。
ま、宮殿だったところだから、それくらいは当たり前でしょうか。
ほとんど博物館化しています。
それでも家具のほとんどは、現在修繕のため持ち出されているとのことでした。
○○家、という3つのファミリーの歴史が、ガイドから説明されましたが、ほとんど頭に入りません。
とにかく由緒ある館のようです。


【島からのマッジョーレ湖の眺め】

2番目に訪れたのはペスカトーリ島
ペスカトーリとは“漁師”という意味だそうで、その名のとおりかつては漁師の住む家々が連なっていたそうです。
現在は、この島には50人くらいしか住んでいないということです。

なんだかよくわからないまま、墓地に案内されました。
なぜ墓地に案内されたかというと、
湖対岸に石切り場が見えていたので、それについてAさんがイタリア人ガイドに質問したところ、
それなら地元産の石を見せてあげる・・という展開になったからだそうです。


【あの崖が石切り場跡。ここの石はアドリア海を経て南イタリア方面の神殿の建材としても輸出されていたそうです。】

墓石はほとんどが花崗岩でしたが、一部に大理石もありました。
そんなことより、私にとっては写真付きの墓ということが珍しかったです。
こじんまりした、かわいい墓地でした。

このあと小さな教会を見学して、島のレストランで昼食となりました。
ビールとワインを飲みながらの、のんびりした昼食となりました。
 ビールもワインも旨いです。

そんな中、私は懺悔しておりました。
実は、ホテルでの朝食の際、ツアーの皆さんの会話を横で聞きながら、
「金持ち有閑年配者たちといった感じで、私はとても溶け込めそうにないな」という印象を持っていたのです。
ところが、こうやってアルコホールを飲みながら談笑していると、皆さんとても気さくでいい人たちです。

ごめんなさい! 
皆さんへの今朝の勝手な印象を訂正するとともに、お詫び申し上げます。

  ≪つづく≫


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