昨日紹介しました須賀の森(須賀公園)にある慰霊碑です。
昭和41年に建てられたそうです。
石碑には、
『大東亜戦争九軍神慰霊碑』
さらに左端に「内閣総理大臣 佐藤栄作書」とあります。
昨日、ここ三机湾は、地形や水深がハワイの真珠湾に似ているということで、第二次世界大戦の際に、特殊潜航艇の訓練が極秘で行われた場所であったことを記しました。
その訓練に励んだ後、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗り込み、湾内の米艦隊に肉弾攻撃を行い戦死した九名の軍人(九軍神)が祀られているそうです。
【九軍神】
この写真入りプレート(解説板)には、「この解説板の背景の九本の柱は、軍神のみたまの数をあらわしたものである。」とあります。
「いち に さん・・・・・・」 なるほど。
そのご苦労、意図は分かるのですが、
それでも、遊歩道などの手すりとしてよく使われている偽木が御霊の象徴とは・・・。
個人的には寂しい感じがします。
せめて、自然木(これでは腐るからでしょうが)、あるいは自然石を使って欲しかったなあ、と思うわけです。
このプロペラは、昭和63年7月に、沖合の海底から引き上げられたものだそうです。
さらに、手前の説明石板によると、夜間戦闘機「極光」のプロペラだそうです。
極光は陸上戦闘機「銀河」を夜戦に改造した。・・・本土防空戦に参加することになっていたが、性能不足で活躍の場がなかったという悲しい運命をもつ・・・。
などとも書かれています。
悲しいです。
なぜそのような運命をもつ戦闘機が、この半島沖合に墜落したのでしょうか?
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