かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(4:大乗妙典納塔)

2008-03-08 13:58:27 | 田舎の歴史


前回紹介しました鎮火地蔵の、向かって左側にある石塔には「大乗妙典納塔」と刻まれており、右側面には「明和七年・・・・・兵頭新左衛門●包延立」の文字が読み取れる(●部は「尉」に見えるが自信なし)。
『町誌』によれば、明和七年(1770年)の夏100日に及ぶ干ばつがあり百姓たち袖乞い(そでごい:物乞いのこと)に出る者多し、時の庄屋兵頭新左衛門包延が民福を祈るため、各集落にこの石塔を建てたとのことである。餓死者もでたのではないだろうか、当時の農民の苦しさが伝わってくるようである。そして、心を痛めた庄屋さんの人徳が伺えるような気がする。 
名取漁港から少し上った道沿いにも、これと全く同じスタイルの「大乗妙典納塔」がある。こちらは、明和九年と刻まれている。
もう、230年以上も前に造られた石塔だけれど、2塔とも刻まれた文字は今でもくっきりしている。そして、我が集落にも結構古い石碑・石塔の類が残っているものだなあと、あらためて感心するとともに、勉強になりました。

「大乗妙典」とは、私たち衆生を迷いから悟りの世界に導いてくれる経典で、一般的には法華経、すなわち妙法蓮華経をさすと言われているようだ。
「納塔」とあるから、この石塔の下か台座内部に経典が埋められているのだろうか?それとも、別の場所(お寺など)に経典は納めて、この場所はその記念ということなのだろうか? 左側面には、「妙法蓮華・・・・・」と刻まれているので、この石塔そのものが経典をなしていそうでもある。 

その他、この集会所前の地蔵群には、「三界萬(万)霊」と刻まれた石仏・石碑が最も多いようである。三界とは、俗界・色界・無色界の三つの迷いに溢れたこの世界のことで、万霊とは、ありとあらゆる精霊のことを指しているそうだ。ご先祖達の信仰の深さと生き物の生命を尊ぶ精神の表れのように思える。側面に俗名があるものが多いようなので、施餓鬼とも関連しているものと思われる。
  
この石仏・石塔群の下は広場になっており、子供の頃よくここで遊んだものである。時にはボール遊びもやり、お地蔵さんたちや石塔に当たることもあった。子供の頃は、そんな謂れなど知ろうともしなかった。今さらではありますが、そんな“ガキ”どもを、お許し下さい。