かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石灯籠の正体

2007-12-28 15:53:55 | 田舎の歴史
今年のことは今年のうちに。ということで、まずひとつ訂正というか補足をしなければなりません。本ブログで、8月4日に紹介した「石灯籠」のことです。
紹介した時、私はこの石灯籠をきちんと見ていなかったのですね。後日、気になったので改めて見に行ってみると、柱をなしている最も大きな石には文字が刻まれているではないか。不覚でありました。この柱部分は、高さが2mあり、緑色片岩ではなく珍しく泥質片岩で造ってある。そのためだろうか、彫りが浅いせいだろうか、光の当たり具合で少し離れると文字だとわからなかった。なんて言い訳をしても恥ずかしい。 
その文字は、いかにも素人っぽい感じの彫り方ではあるけれど、中央に大きく「金毘羅大権現」と刻まれている。そして、その右側には「文政八年●」(●部分は打出の小槌のような絵に見える)、左側には「二月●●●社中」(●部分判読できず)との文字がどうにか読み取れた。そして、改めて『町誌』をめくってみると、年表欄に「1825年(文政8年2月) 名取浦浜の石灯籠金毘羅大権現当浦若連中」との記述があった。そうであったか、江戸時代にここ名取の若い衆たちが建てたようである。おそらく、金毘羅へ参って帰った若者達が、感謝の意・しるしに建てたのだろう。当初は、金毘羅から持ち帰ったお札か何かも納められていたのかもしれない。すごい! 若い衆たちのご苦労もさることながら、想像していたより古いものだった。そして、よくぞこれまで倒壊せずに持ちこたえたものだと感心した。『町誌』の記述は、おそらく何かの資料が基になったのではなく、『町誌』の編集に携わった方が、この石灯籠の文字を直接判読して、それを載せたものではないだろうか。
現在、町の郷土館が町内の石造物の調査を進めているとのことなので、きっとこの石灯籠も対象に入っているのだろうと思われる。  調査報告書が楽しみである。