サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

73日目「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第3部アメリカン・メガミックス(東京都写真美術館)」/恵比寿

2008年11月15日 | 姪っ子メグとお出かけ
キミオン叔父 キャノンが文化支援事業としている「写真新世紀」は1991年に始まっているわけだけど、公募はもう31回に達しているらしいね。
姪っ子メグ 若手写真家の登竜門のひとつとなっているんだろうけど、今回の応募者は1500人を超えているわね。荒木経惟さんとか飯沢耕太郎さん、南條史雄さんがレギュラー審査員でそこにゲスト審査員が加わるというかたちだけど、まあ審査が大変でしょうね。
まあ、僕たち観客の側は、優秀作とか佳作の十数人を見るだけなんだけど、審査となるとね、ふるい落としが大変だ。
いまは、デジタルに移行して、写真自体は誰が撮ってもそれなりの仕上がりになるし、そのなかでプロを目指す写真表現というのは、なかなか困難なものがあるかもしれないね。
荒木さんは今回の選評でも、「写真は終わったのかもしれない・・・被写体に対して愛とかオマージュのようなものが感じられない」って、おっしゃっているけどさ、フィルム時代とは大きく異なっているんでしょうね。
もちろん、オジサンたちだって、カメラ小僧ではないにしても、リヴァーサルフィルムをまとめて買ってさ、飛行機に乗るときには持ち物検査で感光しないように専用の袋に入れてさ、バックパックで貧乏旅行しているのに、フィルム代だけはかかるしね、自分で暗室持ってるわけじゃないから、現像費用も馬鹿にならなくて・・・。
でも、今じゃ、とにかく気軽にシャッター押して、あとから仕上がりのいいものをモニター上でチェックすればいいだけだし。コンピュータでデジタル加工もだれだって出来ちゃうし。
そうした時代の新しい方法や技法も出てくるんでしょうけどね。誰かが選評で言ってたけどさ、応募に際して提出写真の数が多すぎるんじゃないかって。数枚に絞って提出しても、感じるものがある写真はそれで十分だって。
そのなかでも、いくつか印象に残るものがあったな。佳作の上平孝美さんだったかな「ひとりもん」よいうタイトルで自分より年上の独身男性を公園とか自然の中に座らせてポートレートを撮ってるんだけど、これは面白かったなあ。100人ぐらいの写真集にしたら、とてもいいものになるな。
昨年の準グランプリの黒澤めぐみさんが今日たまたまシンポジュウムされてたけど、この人は「奈々子」というタイトルで、女性の心を持ちながら身体は男性の奈々子さんの「二重性活」をずっと追いかけてるのね。どこかヨコハマメリーさんの雰囲気で白塗りされている「おじいさん」だけど、撮りたいものがあるってやっぱりはっきりしてるわね。



「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」も今回の第3部「アメリカン・メガミックス」でいよいよ終了ね。1957年から1987年か。57年というのはジャック・ケルアックがビート世代を代表する小説「オン・ザ・ロード」を発表した年、87年というのはアンディ・ウォホールが死んだ年ね。
まあ、オジサンが1953年生まれだから物心ついてから30代半ばぐらいまでのアメリカにあたるわけだ。
展示構成は5つに分かれてるんだけどまず「路上」。ウィルアム・クラインやロバート・フランクに代表されるけど、僕らがもってるアメリカのニューヨークやブルックリンやシカゴやハリウッドなんかに象徴される都市のイメージだね。ビート世代ありヒッピー文化あり。粗い粒子で広角使ったり、ぼやけさせたり。
次が「砂漠」。これもアメリカ。「パリ・テキサス」の世界だな。篠山紀信、白川義員や奈良原一高なんかが被写体にした。日本にはない乾いた光景。僕の高校時代なんかは、片岡義男なんかの小説に添えられた写真のイメージかな。
それから「戦場」。公民権運動もあるし、なんといってもベトナム戦争だね。W・ユージン・スミスなんかに影響されて、日本でもドキュメンタリーな写真が一挙に増えた時期だ。日本でも、キャパの後を継ぐカメラマンといわれた岡村昭彦や石川文洋なんかが最前線の従軍カメラマンとなった。
次が「家」。60年代の政治の世界から70年代は個人の世界、多元的な価値の時代に入っていく。僕の好きなダイアン・アーバスも何点かあったけど、「性」の問題、マイノリティの問題も主要なテーマとなっていく。ある意味、文学的なテーマと重なる時期でもあった。
最後に「メディア」。情報化社会だね。もちろん、アンディ・ウォホールやメイプルソープの写真なんかがあるんだけど、それとあわせてたとえばNASAの月面着陸の写真なんかがある。
国際的な映像がテレビを通じて同時中継で入ってくるようになるんだ。ケネディ暗殺とか月面着陸とかね。
結局、写真という技術がアメリカに伝播して、ともあれ、アメリカそのものを記録してきたのね。結局、何なんだろう。みんながアメリカに持っている幻想とあるいは幻滅と。
なんかさ、人類のさ、壮大な実験場みたいなとこがあるよね。ヨーロッパの文明がある段階にのぼりつめてさ、そこは基本的にはいくところまでいったある意味で静止した階級社会だから、アメリカになにかを仮託したみたいなところがあるよね。
そこに「自由」への衝動があったのか、それとも新しい「チャンス」への渇望があったのか。移民のアメリカにはなんの伝統も歴史もない。だからこそ、なんでもありの社会で、たぶん人類の希望も愚かさもすべてが凝縮された。
さてと、ここガーデンプレイスもイルミネーションがそれなりに見事だな。せっかくだから、今日はタワーにあがって、このイルミネーションの夜景でも見ながら、食事しようか。
うん、この「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」の3部作をさ、駆け足の展示ではあるんだけど、なんかしみじみとふりかえりたくなったわね。

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