サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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406日目「降臨!神業絵師 伊藤彦造という男(弥生美術館)」東大前

2014年01月03日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ おじさん、アケオメ!年末・年始はゆっくり休めたの?
キミオン叔父 ああ、今年の年末・年始はわりとあったかかったな。除夜の鐘は近くの円融寺で、そのあと碑文谷八幡さんに回って、ご祈願。
円融寺さんはこぶりだけどあたしも好きだな。入り口入ると、黒漆塗りの仁王像が迎えてくれる。で、釈迦堂に進むわけだけど、あそこは室町期に出来ていて、たしか東京でも最古の木造建築でしょ。
そう。釈迦堂は戦後すぐに、大規模な復旧工事は行われているけどね。ここの梵鐘も重要美術品。江戸時代に作られており、希望者には突かせてくれるみたいだから、一度経験したいな。入り口の仁王門自体もなかなか立派なもので、目黒区の指定文化財になっている。 一方で碑文谷八幡宮には、これがこのあたりの地名の始まりではないかという説にもなっている「碑文石」があって室町の作と言われている。
あそこも、桜の季節には参道が桜で埋まるものねぇ。オジサンちまで5分ね。いいじゃん、サレジオ教会もそこから数分だしさ。
まあ、でも基本的に不信心者だからさ。ご利益からは見離されてるんだろうな。


さて、おじさんの一番好きな私設美術館に正月早々やって来ましたぁ。「降臨!神業絵師 伊藤彦造という男」。すごいタイトルねぇ。
この人さ、弥生美術館のコレクションの重要な一人で、もうこの人だけでの特集が6回もあったらしい。今年は生誕110周年、没後10年と言うことでまた特集された。つまり、この人はちょうど100歳まで生きたの。
「神業絵師」と言うけど、その通りね。この人のデヴューは1925年、若干21歳の時ね。それまでも人気の挿絵師は何人もいたけど、彼は歴史物語挿絵を毛筆タイプではなくて細いペンと紙もケント紙を使ったのね。でも、当時は日本ではそんなペンも紙も普及していなくて、でも雑誌の売り上げとかは挿絵で決まるといわれた時代だから、出版社や新聞社が伊藤彦造のために必死で海外から確保した。
伊藤彦造は殺陣の場面が多いんだけど、それがすごく緊張感がある挿絵だということで絶賛された。なぜそんな緊張感のある絵を書けたかと言うと、彼自身が大分出身だけど、剣豪伊藤一刀斎の末裔に生まれて伊藤彦造自身も師範をしており、弟子が多かった。太平洋戦争期は陸軍大将なんかで伊藤のファンも出来て、陸軍の依頼でアッツ島の玉砕日本人を描きかけたりもしている。同じ、アッツ島を描いた藤田なんかとはタッチが違うけど。
独特のエロス感があるよね。死と隣り合わせのような。びっくりさせる対決構図を考えるために、弟子にいろんなポーズをやらせてそれを写真にして、あとは彼独特の世界に仕上げる。
ほとんど独学みたいなものだろうけど、絵はうまい。戦後カストリ雑誌時代は妖艶な女性も描いているし、後には少年誌の口絵をやったり、童画に入ったり。活躍したのは、僕らの兄貴ぐらいの年齢の少年向け雑誌かな。
お隣の竹久夢二美術館。 お正月らしく夢二の子ども絵とすごろく展。あたしたちの小さい頃も、子ども雑誌のお正月の付録には必ず「すごろく」があって、いろんな絵師が競作してたけど、明治から昭和初期のすごろくが特集されていて、大正末からは夢二の独壇場みたいになる。
そりゃ、夢二の女性像もいいけど、最初から童画の世界を追求していたから、夢二の子どものワンダーワールドの描き方は明るくておしゃれでとてもいい。西洋の童画も早くから取り入れて夢二風の作画にするんだけど、すごくモダンでどこか哀愁も感じられて、いいんだよな。今の子どもたちはゲームキャラクターを与えられるんだろうけど、この頃夢二の世界に遊んだ子どもたちは、いろんな世界を想像しただろうな、とちょっとオセンチになってしまう(笑)。 

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