
刑期を終えて出所した男が、偶然出会った若い男女と共に妻の元へ向かう姿をつづる山田洋次監督の名作『幸福の黄色いハンカチ』をリメイクしたロードムービー。舞台を北海道からアメリカ南部に移し、自信をなくし孤独を抱える人々が旅を通して再生していく様子を描く。オリジナル版で高倉健が演じた主人公にはオスカー俳優ウィリアム・ハート、共演に『トワイライト』シリーズのクリステン・スチュワート、『美しすぎる母』のエディ・レッドメインらが顔をそろえる。[もっと詳しく]
33年前と同じく、設定は違うのだが、泣きのツボに入っていく。
山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』が公開されたのは1977年だが、僕が東京にやってきた頃だ。
大学の先輩たち数人がやっていた、(その当時は)やくざな編集プロダクションに籍を置くことになり、本だけはたくさんあったがろくなお金もなく、東京の土地勘も余りない僕は、とにかく安くて広いアパートということで、練馬区の埼玉に近い畑の中の二階建てのわびしいモルタルアパートになんとか落ち着くことになった。
もちろん風呂もなく、家に戻ってくると畑の砂がうっすらと部屋の中にまいこんでいる始末。
毎晩のように教えてもらった新宿のゴールデン街でたむろし、最終のゲロまみれの東武東上線で帰路についた。
週末は、浅草や池袋あたりの3本立て名画館で映画を見たり、電車に乗ってとめどなく東京を歩き回ったことを記憶している。
ちょうどその1977年に日本アカデミー賞が発足している。
記念すべき第1回の受賞作は『幸福の黄色いハンカチ』が八部門オスカーというぶっちぎりの評価だった。
最優秀作品賞は当然のこととして、高倉健が最優秀主演男優賞、倍賞千恵子が最優秀主演女優賞、初めての映画出演であった武田鉄也が最優秀助演男優賞、そして桃井かおりが最優秀助演女優賞だ。
新宿ゴールデン街には映画関係者が多かったが、どちらかというとATG系というか前衛派、アングラ派の流れやヌーヴェルヴァーグ系の関係者が多く、当時は正攻法の社会派、人情派とみなされていた山田洋次監督は(ゴールデン街の反代々木の気風も影響したのだろうが)、ボロクソにけなされたりするのであった。
『幸福の黄色いハンカチ』だってそうだった。
「俺たちのヤクザ映画の高倉健が、代々木の映画に獲られちゃってヨォ」、などと管を巻く酔っ払いもいた。
日本アカデミー賞の評価はともあれとして、僕はそういうこともあってちょっと構えたりして、映画館で『幸福の黄色いハンカチ』を観たのだが、もともと涙もろい僕は、すっかり山田監督の術中に陥ったのであった。
その日もゴールデン街に出かけて「泣かされたのが悔しいけど気持ちよかった」というような話をしていたら、カウンターも反対側から酔っ払いの映画関係者がネチネチと因縁をつけてきたが、北海道出身の苦労人のママが、「なによ!あたしだって夕張の町が出てきた時は、オンオン泣いちゃったわよ」と加勢してとりなしてくれた。
『イエロー・ハンカーチーフ』は、33年ぶりにアメリカでリメイクされたことになる。
ただし、『幸福の黄色いハンカチ』は紛れもなく山田監督の名作ではあるのだが、もともとの原作はアメリカの人気の高いコラムニストであるボブ・グリーンが1971年にニューヨークポスト紙に掲載したコラム「Going Home」がもとになっている。
そして73年にはドーンが「幸せの黄色いリボン」を歌いビルボード1位となった。
もっと古くはジョン・ウェインの『黄色いリボン』という西部劇があるが、アメリカでは愛しい人を待つ時に、黄色い布を巻いたりする習慣があったようだ。
もちろん、山田洋次監督もそのことはいつも語っていたし、映画の挿入曲として「幸せの黄色いリボン」を採用してもいる。
だから、どこかでリメイクというよりは、本場アメリカにお里帰りしたといってもいいのかもしれない。
監督のウダヤン・プラサットという人はまったく知らない。
しかしプロデューサーのアーサー・コーンは六度の本家アカデミー賞に輝く名伯楽だし、撮影のクリス・メンゲスも二度のオスカーに輝いた実力派カメラマンだ。
そして健さん役は、どんな役をやっても渋すぎる名優ウィリアム・ハート、倍賞役は『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05年)でウィリアム・ハートと共演したマリア・ベロだが、この人は『ER緊急救命室』のアンナ役でよく覚えている。
映画では『ジェイン・オースティンの読書会』(07年)でもなかなか魅力的な女性を演じていた。
もちろん山田洋次監督が、ボブ・グリーンのコラムにインスパイアされて、北海道の釧路、網走、阿寒湖、そして夕張を目指すロードムービーとしてまったく背景を作り変え、そこに山田洋次監督の過去作品で何度もカップリングした高倉健と倍賞千恵子を起用し、若い二人に思い切った異色のキャラを当て嵌めて、高度成長期、オイルショックを経過してバブルに入る前の日本の風景や風俗を切り取るかたちで紛れもなく日本映画としたように、今回のアメリカ版はアメリカの南部の町にありそうなエピソードに変更している。
そのことはそのこととして、リスペクトすればいい。
もちろん、『幸福の黄色いハンカチ』の島勇作はブレッドよりもっと不器用だし、スーパーのレジ係である妻の光江はメイよりももっと健気に見える。
鉄也と朱美はマーティーンやゴーディよりもっと三枚目的だし、我々日本人の観客の脳裏には、刑事役の渥美清や、ヤクザ役のたこ八郎の在りし日の姿が、まざまざと浮かぶことになる。
なにより北海道の抜けるような青空や夕張の光江の待つ貧しい木造長屋と、『イエロー・ハンカチーフ』のアメリカ南部の光景やニューオリンズの潮風に曝されるボート置き場とでは、空気感はあたりまえだが異なっている。
それでは、『イエロー・ハンカーチーフ』には、僕は泣かされたのか。
1977年ごろに東京に引っ越して来て、あてどもなく彷徨っていた頃に見た『幸福の黄色いハンカチ』のように・・・。
それが、号泣とはいかないが、やっぱり泣かされたのである(笑)。
人生の損な役回りにつきまとわれて、どこかで切れてしまう自分を嫌悪しながら、最後に少しだけ希望を託して、一枚のハガキを愛する人に送る・・・そんな中年男の諦め切れない人生へのささやかな思いに。
そしてお約束なのだが、黄色いハンカチを探し回る時の、観客もわかってはいても登場人物たちの視線でハンカチを探すドキドキ感に。
結局のところ、翻る満杯の黄色の布の乱舞に、僕たちはまたわかっていても泣かされることになるのである。
たぶんずっと信じて待っていて、ある日男からのハガキを受けて、もう嬉しくて嬉しくて、黄色い布をあの人のために一杯たなびかせよう!と心躍らせる瞬間。
観客には、その作業を一心不乱に続けている光江やメイの姿が、まざまざと想像できるのである。
たぶんその構図だけがあればよかった。
そこでは、アメリカ人も日本人も、南部の海辺の町も夕張の貧しげな町も、そして33年前の若かった自分ももう老境に入っている自分も、同じように「感傷」の世界のスイッチが入ることになるのだ。
kimion20002000の関連レヴュー
『ジェイン・オースティンの読書会』
出前が出てきたり、幕切れで大量のハンカチが建物の狭間に見える構図まで戴いているのに、山田洋次の名前がスペシャル・サンクスに登場するだけとはねえ。残念でした。
この間観た邦画「死刑台のエレベーター」はちゃんとクレジットしていましたよ。
クレジットに関しては、いろいろいきさつがあったようですね。
山田監督も承諾と言うことですが、本心はわかりませんな。